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悲観主義の私が残念な人への対応

世の中には悲観主義を否定しネガティブな扱いをしてくる、そういった人(輩)がいる。
果たして悲観主義はネガティブ思考なのだろうか?

楽観主義でも経験を積んでいくと悲観主義になっていく。物事を楽観的には見えなくなるものだ。
それは経験を積み重ねて脳が成熟してくるかららしい。
決してネガティブな事ではなく、謂わば成長とも言える悲観主義を否定してはならない。

そう言う観点から私は悲観主義者である。石橋を叩いて渡るのは経験から来ているからでは無いか?そう思っている。
臆病である事も含めてです。

つい最近、気をつけていないと驚く様なメッセージが来た。まるで中学生の様な内容だった。
そのメッセージの差し出し人とは、全く関係が無い問題に首を突っ込んできたのである。
全く持って、残念な人としか言いようがない輩である。

私はあるブロガーさんが苦手である。誰にでも合う合わないがあると思う。
なるべくなら関わりたくは無かった。そんな時、その仲を取り持とうとメッセンジャーだと名乗り他者の例を取り、世間で言う井戸端的な内容を延々と長い文章が書かれたメッセージが来た。

私はビックリしたそして看過できない事がその中に含まれていた。それに対して取り敢えず、全くの検討違いである事を書いて返信した。

すると……

その私のブログの内容及びコメントのある無しまでを隅から隅まで指摘し、その根拠であるかの如く、全く的外れな勝手な思い込みの他ならない内容を、また延々と書いて返信してきた。
私はウンザリだった。

私は苦手なブロガーさんの事はオフレコでそのメッセンジャーと名乗る方には言っている。しかし、その事は無意味だった。オフレコは相手を傷付けないためであった。
しかしその気遣いで反対に私が大きく傷をつけられてしまったのである。

呆れるより何も怖さを感じた。
何やらその方は、エッセイを書いて応募し投稿している様で、その材料にでも使う気なのか?とも考えた。
怖い話しでこれを悲観主義と言うには些か当てはまらないだろう。

私は難病罹患者でいずれは全く動け無くなる。そんな私が恐れるに値するこれは事件だ。
人の心の中まで覗き込もうとしている行為そのものへの恐怖があった。
思い込みでその私の想いを汚されたと言う事だ。

スクショはしておいた方が良かろうとの判断は、悲観主義者の心得である。

悲観主義とは。。。
石橋を叩くことである。



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