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越えるもの越えられぬもの

歳を重ねれば越える事が出来るもの

皆様お久しぶりです。

今月私はまた一つ歳を重ねる事が出来ました。

支えてくれる御縁の有る皆様のお陰でまた一つ歳を重ねる事が出来ました。

いつも繋がってくれる皆様と大切な家族に感謝です。

今年一つ歳を重ねて私の中で一つ追い付いたものが有ります。

私の亡くなった母が亡くなった時の年齢と同じに成りました。

母が亡くなった時に周りの方々から、こんなに若くして亡くなってしまって可哀想に、不憫でならないと良く声をかけられました。

母は癌と3年半闘病し、癌が見つかった時はその若さで進行も早く、医師ももって一年と仰っておりました。

最初の手術後から抗がん剤を投与し、その苦しさを側で見ていた私は、見ているだけなのに非常に苦しく恐ろしく思っていました。

それでも癌が転移し、3度の手術と入退院を繰返し、闘病の末母は帰らぬ人と成りました。

もって一年、余命一年と言われた母が3年半闘病し続け、その苦しさに抗い続けて1分1秒でも永く生きようとする姿は、見ている家族も辛く苦しいですが、母本人が一番苦しかったと思います。

抗がん剤の副作用で苦しむ母が、私に言ったのか独り言かは分かりませんが、「苦しい、もういっそ死んだ方が楽だ」と言っていたのは未だに覚えております。

今だから分かる事

私も母が亡くなった年齢に追い付き、大切な妻や子供が出来た今だからこそ分かる事が有ります。

それは今私が大切な家族を残して命が燃え尽きるのはどれ程無念で心苦しいかと言う事です。

今私が家族を残して死ぬ訳には行かない

何としても妻の為に、子供の為に生きたいと私も思います。

母の余命が宣告よりも長く、戦い続け抗い続けたのはきっと自分を守る為と同じ位の思いの強さで、子供の為にも生きようと思ったのではないかと思います。

母は私に亡くなる前に私と年の離れた弟を頼むと言いました。

私にはその時上手く言葉が返せず、出来る限りはやるよと言う事しか出来ませんでした。

今私が母と同じ年齢に成りましたが、年齢だけは追い付けましたが、その強さはまだ追い付いていないのではないかと思います。

人は誰でも生きる限り平等に年を取ります。

けれどどの様に年を取るかは自分次第です。

私も大切な人の為にも母の年を追い越すだけではなく、心の強さも追い越して生きたいと思います。

皆様も大切な人は命あるうちに大切にしてあげて下さい。

当たり前に在るものが、いつまでも当たり前に在る訳ではないと言う事をどうか忘れずにいて下さい。

私もそれを忘れずに生きたいと思います。

大切な人と共に



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