「14歳の栞」を観に行った話

先日「14歳の栞」という映画を観てきた。

この映画は、中学2年生のあるクラスの最後の数ヶ月間を撮影し、
それを1人ずつに焦点を当てる形で並べ替え、構成されている。

その中でそれぞれの人物の関係性が少しずつ重なり合い、
一本の映画となっている。
登場人物は全員実在のノンフィクション作品だ。

肝心の出来については、
これがとても良かった

そこには、大きな事件があるわけでもなく、
ただ、14歳のありのままの日常が流れる。
一方で、そのような映画だからこそ、
「あの頃」の自分と重なるような姿がいくつもあったのだ。

そんなノスタルジーを感じてしまったことにより、
映画に対して正当な評価を下せていない側面ももちろん否定できない。
したがって、この記事もかなり主観が入ったものになる。

また、偶然だが、これは2019年に撮影されたもので、
そこに映るのは当然コロナ前の日常だ。
1つの教室にぎゅうぎゅうになって、
打ち上げをする姿は「あぁ、本当はこんな感じだったよな」と、
少し違う意味で感慨深くなったりもした。

ところで、私は良い作品を観た時に、無性に感想を書きたくなる。
しかし、大抵の場合、SNSを見渡すと既にたくさんの人が、
自分よりもずっと明瞭で解像度の高い感想を上げている。

そこに書いてある言葉を読み、共感し、
自分にはこんな文才はないと少しの挫折感を味わうことで、
その欲求を消化してしまっている。

本作も、公開から既に数ヶ月が経過していたということもあり、
noteにはたくさんの素晴らしい感想が上がっていた。

普段ならば、この時点で「他の人が書いているなら書かなくても良いか」
筆を置いてしまうのだが、どうも今回はそういうわけにはいかないようだった。

それは、この作品がとても個人的で、一方でとても普遍的で、
観た人によって少しずつ見え方も違うと思ったからだ。

35人の生徒が登場するこの作品は、
観る人によって注目する人物も、共感する人物もまるで異なるはずだ。
だから、こうしてこの作品を観た「私」が感じたことを残しておくことにも
意味があると考えた。

そして理由はもう一つ、
この作品が優しかったからだ。

14歳の生徒達が感じる悩みや想いを、
この作品は否定することなく写している。

大人が「そんなこと」と一蹴できてしまうような悩みも、
まるで手のひらで包み込むように優しく、フィルムの中に収められている。
少し不格好でも、先に向かって進もうとする彼らの姿は、とても輝いて見えた。

そんな姿を見ていると、例え読みづらい文章だとしても、
私がこの作品から受け取った気持ちを残しておかないのは、
失礼なのではないかと感じたのだ。

そうやって色々と自分の中で理屈をこね回して、
拙いながらも感想(のようなもの)を投稿するに至ったわけである。

※映画の性質上、個人が特定されないよう
 内容に明確に触れるのを可能な限り避けています。

1.「14歳」自身の言葉と孤独

この映画の特筆すべきは、登場人物の掘り下げの大半を、
14歳の彼ら自身の言葉に任せていることである。

例えば、このような映画によくある(?)、
保護者へのインタビュー、教師から見た生徒像、
と言うようなシーンがほぼ存在しない。

例外的に1人だけ、祖父と一緒にインタビューを受けている子がいるのだが、
その後の学校における面談形式のインタビューでは、
祖父が言っていることに反発…
…とまではいかなくても、逆の考えを打ち明けてくれている。

このような、大人による掘り下げを徹底的に排した結果、
14歳という精神的にも不安定な時期に見られる、
誰にも相談できない「孤独感」を浮き彫りにすることに成功している。

この映画に出てくる35人誰もが、自分の中で悩み、考えている。
友人でも知らないような、言えないようなことも。
それを私たち観客は、カメラを通して知ることになる。

まるで秘密を共有する、共犯者のような気持ちだ。
でも、私たちと彼らの間には、
スクリーンという隔たりがあり、言葉は届かない。
それが堪らなくもどかしかった。

「孤独感」という点で、個人的に印象的だったのが、
学年でも成績優秀とされていた子のインタビューだ。

一見お調子者だが、堅実に自分の将来を見据えていた姿が印象に残った。

カメラマン(=インタビュアー)が将来の夢を尋ねると、
「元々やりたい仕事があったが、今から取り組むのは遅すぎるから諦めた」
と彼は答えていた。

思わずカメラマンも
「遅くないよ。誰かに言われたの?」と質問を投げかける。

きっと、私がその場所にいても、同じ質問をしていたと思う。

それに対する答えは、
「言われたわけじゃない。自分で考えた」というものだった。

クラスではおどけているように見えて、
その裏では、自分の将来について一人で悩み、考え、そして答えを出したのだ。
彼がこの結論に至るまでのことを想うと、私は胸がいっぱいになった。


大人から答えや助言を与えることはできる。
だが、この映画は敢えてそれをしていない。

普通、そんな悩んでいる時に、
都合よくヒーローのように大人が現れたりはしないのだ。

彼らが独りで感じた悩みや孤独感。
そして、悩み抜いて出した答え。
この映画は、それを決して否定しない。

だから、映画を観た我々も、
あの頃悩んでいたことを肯定してもらえた気持ちになる。


心の奥の底が少しだけ軽くなった気がした。

2.一人ひとりの心の中

この映画には「主人公はいない」或いは「全員が主人公」
…ということになっている。

しかし、自然とカメラによく映ったり、会話の中心になっていたり、
「あ、この子がクラスの中心なんだろうな」と思える子がいた。

言葉には出さないけれど、誰もがクラスの中心だと感じている人物。

「クラスであまり友達がいない」とされているような子とも仲が良くて、
2人で遊んだりするような交友の広さがある。
そういうタイプの子だ。

自分が14歳の頃にも、そういう中心人物的な存在はいた。
「どういう奴だった」とか、「こんなこと話した」とかは覚えているけど、
でも、どんなことを考えていたかなんて知る由もなかった。

そんな「仲は良いけどよく知らない奴」や
「こいつとは仲良くできないかもって奴」
そして「気になってたけど話したことない子」
あの頃、私のクラスにもいた、
彼ら/彼女ら一人ひとりの内面にこの映画は迫っている。

「こいつとは仲良くできないかもって奴」も、
内面を知っていたらもっと仲良くなれてたのかもしれないな、
とか今になって思った。

少なくとも、既に14歳を終えた私は、
この映画に出てくる35人全員を好きになることができたのだから。

3.主題歌

この映画の主題歌は、
タイトルにも含まれている、クリープハイプの「栞」だ。

白状すると、半分くらい主題歌に釣られて観に行ったのだが、
気が付くと「頼む!まだ流れ始めないでくれ!」
と、作品が終わるのを惜しむ自分がいた。

この楽曲から映画の構想を得たそうなので、
合っているも合っていないも無いと思うのだが、
14歳から少し「背伸び」をしている感じも含めて、
見事にハマっていたと思う。

ところで、
私は自分の学校生活で出会ってきたクラスメイトを重ねながら、
この映画を観た。

しかし、実際の登場人物たちはそんな簡単に記号化できないほど、
一人ひとり違うことを考えながら、今を生きている。

もし仮に、彼らにこんな感想を読まれたら、

簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか

と、どやされてしまいそうだ。


おわりに

読み返してみると殆どが、
「自分がなぜ感想を書いたのか」について
言い訳を垂れているような文章になってしまった。

でも、これが今の私なのだから、しっかりと栞を挟んでおこうと思う。
色々と理由付けしないと行動できない自分だ。

そしてあの頃、学校が世界の全てだと思っていた自分。
クラスメイトもそうだと思い込んでいた。

だが、そうではなかった。
ある人はダンスを通して、体操を通して、
既に学校以外の世界との繋がり方を見つけていた。

全員が同じ景色を見ていると思っていたけれど、
その景色は少しずつ違っていた。

きっと今もそうだ。
同じ場所にいても、見えているものは少しずつ違う。

そんな当たり前のことに、
11年経ってから気がついた。

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