【いぎなり東北産】の歌詞の特徴ー「自己言及」

初めまして、おにぎりZZと申します。
普段はTwitterに生息しています。
いぎなり東北産では葉月結菜ちゃん推しです。

先日の「第3回ディスタンスライブ」へ行って参りました。

一番の感想は楽しかった…ですが、二番の感想は初披露の『おぼろ花火』の歌詞が衝撃的だった…です。

そんなわけで、『おぼろ花火』について、色々書きたいと思ったのですが、そもそも、東北産の歌詞に感じていた特徴について、飲み会等で断片的にしか語ったことがなかったことに気が付き、今回、筆を取りました

※あくまで素人目線での見解になります。


東北産の歌詞は「自己言及」

東北産の楽曲における、最大の特徴は、「自己言及」であると、私は考えています。東北産の楽曲の多くは、グループ自身を歌ったものです。
この特徴は、初期から今に至るまで、ほぼすべての曲に一貫して見られます。

今回は、東北産の代表曲にしてアンセムの『天下一品 ~みちのく革命~』(通称:天一)を読み解きながら、その特徴について説明していきます。


『天下一品』は誰の曲か?

はじめに、『天下一品 ~みちのく革命~』は東北産の初オリジナル曲で、ライブでも圧倒的な人気を誇る名曲です。
宮城県を拠点に活動する音楽グループ、パンダライオンが作詞・作曲を務めています。こちらもメンバー全員が東北出身です。
(youtubeリンクはこちら)

肝心の歌詞について見てみると、『天一』はまさに、東北産の為に書かれた珠玉の名曲だと言えるでしょう。

『天一』の最初の歌詞は、以下の通りです。

Let's Go いぎなり東北産!
We are いぎなり東北産!

『天一』は始まりからいきなり、この曲が東北産自身について歌った曲であると明言しています。ただ、これだけで自己言及が東北産の特徴だと決めつけるのは早計かと思いますので、続けて見ていきましょう。

続く歌詞がこちらです。

この地が受け継ぐ それはそれは昔の伝説
時を超えて今 幕をあけるぞ~!

ライブでは初っ端から大盛り上がりのパートです。
東北産初オリジナル曲にして、これから始まる東北産の伝説を予感させるような歌詞になっています。東北産が飛躍すればするほど、歌詞の意味が強くなっていくと言えるでしょう。

更に、Aメロの続きは以下の通りです。

時は満ちたんだ うちら暴れまくる時間だ
みちのくに生まれ 頂を目指す

ライブでは花彩ちゃんのパワフルな歌唱が光るパートです。
ここで言われている「うちら」とは、他ならぬ東北産自身のことでしょう。

ここまで、Aメロの歌詞を見てきましたが、『天一』は1番のAメロから歌詞の中に東北産自身が登場し、聴いている人に強烈に東北産の存在を意識させる構成になっていると言えます。

この曲が東北産自身について歌っていることが確認できたので、さらに掘り下げてみることにします。


初オリジナル曲から続く、東北産の目標

『天一』が東北産自身について歌っている曲だということがわかりました。更に歌詞を読み進めていくと、この曲が東北産というグループの指針や目標といった要素も内包していることが指摘できます。

こちらも同様に、歌詞の様々なところに盛り込まれています。

百戦錬磨 一本勝ち 負けられないの 
戦って 戦って
掴み取ってみせるから (テッペン!)
一生懸命 やれること 信じていれば
いつの日か いつの日か 願いが奇跡に変わる
完全燃焼 どんな時も 貫いていくよ
燃え上がる 生き様を 受け止めて
何万回も倒れても 諦めないよ
もっともっと もっともっと
高見目指していぐっちゃいぎなり!!
デビューするっちゃいぎなり!!

これらの歌詞から読み取れる東北産のグループとしての指針・目標を簡潔にまとめると、以下の3つになります。

・てっぺん(高見)を目指して戦う
・どんな時も一生懸命にやれることを尽くす
・デビューする

まずは、一番具体的な、「デビューする」から、順に確認していきましょう。


デビューは今なお続く目標なのか?

デビューするというのは、メジャーデビューのことだと考えてよいでしょう。
(…もしメジャーデビューのことではなかったらこの部分はこっそり消すので、教えてください)

確かに、レッスン生グループとしての具体的な目標であると言えます。
しかし、最近(主に2019年あたり)のメンバーの言動や様子を見るに、メジャーデビュー"そのもの"に拘っている可能性は低いと考えられます。

なぜ、メジャーデビューに拘らなくなったのか。
私自身、東北産を応援し始めたのはつい最近からなので、推察の域を出ませんが、レッスン生グループという土台の不安定さにあると考えます。
スターダストプロモーションのメインは俳優のマネジメントであり、東北産に加入した大半のメンバーも、元々は女優志望です。
レッスンとは「練習・稽古」のような意味を持つので、その後のキャリアの為に作られた、一時的なグループであるとも捉えられます。ある一定の活動期間後、解体される可能性も低くはなかったはずです。

そんな中で、グループとしての土台を強固にするにはどうすれば良いか、即ちアイドルとしてグループが存続するにはどうすれば良いかその答えがメジャーデビューであると言えます。
メジャーデビューによって、レッスン生グループだったいぎなり東北産は、アイドルグループとして、存続することができます。

ところが、オリジナルCDの販売や、事務所のアイドルセクションの創設等、メジャーデビュー以外の方法によって、アイドルとしての東北産の土台はできあがっていくことになります。

また、メンバー自身が東北産を続けていく意思が強くなっているというのも、ポイントかもしれません。

私の中で、その象徴的なエピソードが結菜ちゃんの変化です。
2018年11月3日に新メンバー(真珠ちゃん)加入が発表された際のツイキャスでメンバーが一人ずつ東北産について想いを述べる場面がありました。
その際に結菜ちゃんは「東北産をやり切ったら、それぞれの道を進むべきだと思う(意訳)」という旨の発言をしています。
それが、様々なイベントを経て、翌年には「東北産の活動に人生をかけよう!」とまで言うようになりました。
(引用元の、私が一番好きなブログのリンクを貼っておきます)
(村を焼く意図は一切ございません)

そこには、東北産としてアイドル活動を続けていくという強い覚悟が見られます。推しメンなので、特別取り上げましたが、ほかのメンバーも言わずもがなです

このように、グループを取り巻く環境や、メンバーの心境の変化もあり、現実的な面でも、精神的な面でも、グループの土台が強固になったことから、当初よりメジャーデビューに拘る必要がなくなったと推察できます。

また、斜に構えた見方をすれば、同じスターダストの音楽グループだけでも、インディーズにて十分な成功を収めているグループも見受けられ、そのような点でも、敢えてメジャーデビューに拘る必要もないのかもしれません。

したがって、(メジャー)デビューするという目標はほぼ形骸化し、あくまで副次的な目標になっていると言って良いでしょう。むしろ、今の東北産は、それよりも大きな夢に向かって突き進んでいると言えます。


再びー東北産の目標とは

「デビューする」という目標を除くと、着目すべきは、「てっぺん(高見)を目指して戦う」「どんな時も一生懸命にやれることを尽くす」の2つということになります。この2つの目標は一見、違うベクトルのようにも思えます。
前者は、戦うとは相手がいて成立する行為であり、明確に勝者と敗者が存在します。一方で後者は、一生懸命にやれることを尽くすとは、個人的であり、そこに他者は介在しません。
違うベクトルどころか、真逆と言っても良いかもしれません。

ところが、『天一』の歌詞を見返してみると、実はこの2つの目標はほぼ同義であると言えます。
それがわかるのが、2番のBメロ、普段はわかりんが歌うパートです。

敵は我なり!

この一言によって、東北産における「戦う相手」とは、他者ではなく、彼女たち自身なのだとわかるようになっています。つまり、ライブやイベントは常に自分との戦いになるわけです。

「どんな時も一生懸命にやれることを尽くして、【自分自身と戦いながら】てっぺんを目指す」というのが、『天一』を通してのメッセージであると言えます。

このメッセージは、ほかにも『いただきランチャー』や、『乾杯ニッポン』『あなたは』といった楽曲にも見られ、その気持ちは変わらず受け継がれていることがわかります。
これらも同様に、自己言及の曲であり、東北産の楽曲の大きな特徴であることは明らかでしょう。

このような強いメッセージを持った楽曲ですが、それに負けないようなパフォーマンスができる東北産も素晴らしいです。
仮に、彼女たちのパフォーマンスが一生懸命でなければ、楽曲としての魅力もたちまち失われるでしょう。

『天一』は東北産の初オリジナル曲で、グループとしての姿勢が今も一貫しているからこそ、そのひたむきな姿に熱く心を打たれるのかもしれません。


おわりに

今回は、東北産の歌詞の特徴として、自己言及について、『天下一品 ~みちのく革命~』を通して説明しました。

東北産の自己紹介ソングには、2018年の仙台PITにて初披露された『我ら』があります。
しかし、対バンや合同イベントでは、『我ら』ではなく『天一』が東北産の代名詞を務めているように感じます。それは、この曲が東北産自身について歌っているという側面があるからでしょう。

先述した「どんな時も一生懸命にやれることを尽くす」というのは、東北産自身の活動方針でも大いに体現されています。
新型コロナウイルス感染症によりライブイベントが自粛を余儀なくされる昨今、「ディスタンスライブ」と称して、距離を取って観客を入れたライブを開催したのも、この制約の中で、やれることを尽くしていると言えるのではないでしょうか。
メンバーの真摯にパフォーマンスをする姿やそれを聴く皆産の姿を見て、つくづく素敵なグループに巡り合えたことへの感謝と、この時間が終わってしまう寂しさで胸がいっぱいになりました。
いち早い収束と、またかつての日常を願わずにはいられません。


長くなってしまったので、続きはまた次回の記事で。

次回の記事では、今回少し取り上げた、『天一』同様に自己言及の特徴を持った曲について触れた後、他楽曲への影響と、先輩グループとの類似点について述べられればと思います。

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございます。



…もう一個特徴だと感じていることがあるのですが、いつ書けるかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?