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飲食店の因果、美味しさ≠コスパ≠健康

 結論から先に書くと、外食は身体に悪いし、美味しさを超えるコスパなど存在しないという話し。

ホタテと焼き野菜

 この考えの根幹は飲食が我々人類全体の死活問題に直結しているが故に、とんでもない規模の市場と経済のうえに乗っかっていることに起因する。たまに市場で「お得に買えた、上手く値切れた。」などと自慢げに宣う人がいるが、間違ってもそんなことは起こりえないと断言できる、まず間違いなく粗悪品や前日品などのカラクリが存在する。市場での値付けはどんな業界よりも正確かつシビアで、そこにありとあらゆる規制と、さらにインターネットによる比較情報まで補完されている(たまに産地偽装の話しなどニュースになるが、そんなのは実は皆し…ムニャムニャ)。

ホタテのヒモ

 この話は深刻で、末端の飲食店であってもその呪縛からは逃れえない(末端だからこそとも言える)。つまるところを考えればシンプルで、完全で完璧に近い値付けの食材と、同じような人件費業界、同不動産業界、同エネルギー業界が運営費の大半を占める飲食店においてコスパなど存在し得ないのである。さらにこれを究極の神システムとしているのは、消費者の意識だろう。日本人の食事に対する評価は大変厳しく、さらに可能ならば安く、もしくは「何ならタダで食べてやろう。」という意識が存在する。
 一応書いておくと、食材を安く仕入れる方法は存在して、大量に買うとか親族に大規模生産者がいるとかetcあるが、多分ほとんどの人が想像する1/100程の値引きしかなされないし、10000倍ほどの量を買わないとその値引きは実現できないことを注記しておく。産直でお得に買えるなど馬鹿の極みだ。生産者が「安くて美味しいものを皆にお届け♪」なんていう天使みたいな存在なわけがない。野菜一つ売って儲け10円の世界感の中で、一体どれ程の量を売れば経営が成り立つのかを一度考えてみてほしい。お得に売ってくれるわけがないことなど1秒で分かりそうなものだ。

*:一つ10円の儲けの野菜を一千万売り上げるためには、100万個売る必要がある、この野菜を9円に値引きして売った場合の売り上げは900万、もしくは111万個売る必要性がある。そんなことする?

 では、何故消費者がコスパなどと書くかというと、そこにはたしかにカラクリが存在するからである(生産者側のカラクリは省く)。
 上記の隙のない神システムの中でも比較的いじり易いところが一つある(むしろそこしかない)。それは最も安価で、最も効果的な「調味料」である。詳しくは「調味料」を読んでいただくとして、飲食店が美味しい=コスパの良いお店と思ってもらうには、人が美味しいと錯覚する調味料を限界点までぶち込むしかない。私が「経営者」で「利益」を追求するのならば、まず間違いなく塩を一つまみのところを3つまみ入れ、必要のない砂糖を小さじ1と味の素のようなものを一振り入れる。塩っ辛くなく旨味を感じられる限界量の塩と、甘味をたいして必要としない人類が麻薬のように求める白い粉、さらに安価で安易なTHE旨味成分を限界までぶち込んで消費者の満足度を高めるためである、それがどれだけ健康を損なおうとも。なんなら一番安い醤油や味噌を隠し味と称してぶち込みまくる。まぁチャーハンだね。この糞みたいな裏技をどれだけ使い、どれだけ持っているかでコスパが決まっていると言っても過言ではない。

キンキと山菜のしゃぶしゃぶ

 たまに街を散歩しながらその辺の飲食店のメニューを見ると、豚肉鶏肉etcの構成物質がだいたい一緒で乾いた笑いが出るくらいだ。当たり前だが完璧で完全な市場経済の価格のうえでは、価格に準じて使える食材の幅が統一されるのも必然だ。
 でも、そんなものを毎日食べ続けていると当然身体はいつの日か壊れる。
 合成甘味料がどうとかの話しではない、自炊するときには到底入れないであろう量の調味料を巧みに食べさせる。そんなものが健康に良かろうはずもないが、それが美味しさでありコスパである以上、仕方ない。ましてや、麻薬卵などというものが流行る世の中ならば尚更だ。

蟹味噌

 ここでさらに注記して置かなければいけないことは、大半の人々はワタリガニと毛蟹の美味しさどころか、そもそも違いにすら気付かないということだ。これはたびたび語る話しなのだが、蟹自体がそもそも美味しすぎるがために、蟹でさえあれば何を食べても評価が同じということだろう。現に日本料理屋さんなんかは蟹の時期になると、蟹を捌いただけ程度の料理を提供するし、それが一番美味しい食べ方だと言えばそれまでなのだが、まぁ一番楽でコスパが良いのも事実だ。つまり経営と顧客の満足度を考えるならば、ワタリガニ以外のものを提供している飲食店はゴホゴホ。

ラム

 同じようにノドグロもそう言えるだろう。某海外産のものなんか、皮も油も臭くて食べれたものではないが、人に食わすものとしては「十二分」だ。誰も良質な油だとか筋肉との比率による旨味なんか気にしないし、何なら臭くても真っ白で大量の油がジュワジュワしてさえいれば嬉々として頬張る。ちなみに仕入れ価格3倍違います。
 分かり易い例として挙げたが、こんなお値段比例のカラクリが山ほどあれど、世の中にはそんな都合の良いコスパなどないのである。

フグカマの唐揚げ、蕗の薹

 この呪縛から逃れえるには、ハイエンドの外食もしくは自炊しかないと考えていたが、結論から言うとハイエンドまで言ってもその呪縛からは逃れえなかった。少しでも気を抜くとすぐ潰れてしまうギリギリ感。結局、顧客の満足度という市場経済はどこまで行っても切り離せないのだろう。少なくとも、ハイエンドに至っても牛肉に雲丹とキャビアを乗せてキャッキャする顧客が大半を占める内は到底不可能だ。私の結論として、どれだけ変なものは使っていないと謳っている飲食店でも、通い続ければ早晩死ぬとさえ思う。

 最後に、健康的な食生活を送ろうが、こんな「意識高い系」と思われる記事を書いたり実行しようが、死ぬときは死ぬし、煙草を吸おうが酒を飲もうが100歳まで生きる人もいる。現に私は根っからのアル中だし。

 参政党とまでは言わないが、少しだけ原初に、もしくは未来に進むべきなのだろう。食の本質とはなんなのだろうか、なんだったのだろうか。

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