子供たち(不登校長女編)

我が家の子供は3人
末っ子だけが課題が多い訳では無いのです。


今回は長女の事を…



小学生の頃は、ブラスバンド部に明け暮れ日々。部長やら学級委員と日々忙しく、また、リーダー格として友達も多く明るい子であった。

そんな明るい長女だったが、高校2年あたりから学校を休みがちになった。長女が高校に上がるころに家庭は色々あり(これはまたいつか・・・)転居を機に通学時間が片道だけで倍になり、気疲れから長女は次第に擦り切れて行った。「もう疲れた」といい、学校に行かなくなった。

出席日数が足りないので、このままでは進級が出来なくなりますというお手紙が家に届き、娘は退学をしたいと言い出すように。

娘の通っていた学校は中高一貫校で大学もある。 実は私の母校でもあり、当時の担任や関わりの深い先生方は偉い人になっていた。

その先生方の配慮もあり、今からでも何とか通学してくれたら補習などで何とか進級ができる道を作ってくれるという話もできていた。

しかし

長女は学校を辞めたい

息をするのも疲れたと…


息をするのも疲れた


この言葉に不安な気持ちで足が震えたのを、今でもよく覚えている。


何度説得しても

もうどうでも良いと

部屋に閉じこもってしまった。



家庭が落ち着かなかったから
私がダメだから
だから長女はみんなができる事が
みんなが普通に通っている学校へ行かないのだ

そんな事ばかり考えていたが、長女の将来を想えば悩んで立ち止まっている場合ではない。高校中退だけは避けたかった私は何とか転校の道を探し始めた。



当時長男が通っていた私立中学にはいろんなタイプの高校がある事を思い出し、長男の担任に詳細を聞きに走り、下見と転校先の先生との面談を経て、通学システムのある通信制高校へ転校する事にした。


今思えば、本当は休ませて元気になってからでも遅くなかったのかもしれない。親の私のエゴだとしても、娘にどこか所属先をつくってあげたい。そんな事を思っていたと、当時の日記には書いてあった。


転校後の長女は、新しい環境に馴染む気力もなく週二回の登校日の朝は学校まで送り届ける生活が続いた。

本当にこれで良かったの?

留年しても残るべきだったのでは?

何のために苦労して中学受験させたの?

親の貴女がしっかりとしないから、こんな事になったのだし、高校転校なんて長女ちゃんが恥ずかしい思いをして生きていかなくちゃならないじゃない!

と言われた事も…


この時


何も知らない人は勝手なこと言うものだなぁ…とつくづく思ったものです。


転校先の先生は、暖かく、根気よく長女を支え、自信を取り戻し伸び伸びとした学校生活を送ることが出来き、伸び伸びし過ぎて受験失敗


1年のんびり過ごし、やりたい事が無いといいつつも末っ子の支援学級に不満満載の長女は教員を目指して頑張っています。

本当にこれが正しかったのかはわかりません。

長女にとって今後、過去の選択が不利になる事があるかもしれない。

しかし

笑っている長女をみていると

これはおもいっきりの間違いではなかった!

と言い切る自信が今はあります。


不登校や発達障害の子供達を支え、社会へ出る為の手伝いが出来きる先生になれたらいいなと思うと、長女は未来を思い描いている。

そして大学に通っている。


親バカだけど

長女はきっといい先生になれると思う






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