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娘と私の子育て奮闘記編


はじめに  

私はバツイチで、前の奥様との間に産まれた15歳になる娘と、今の奥様の間に産まれた1歳6ヶ月になる息子がいます。

娘が3歳になる頃に円満離婚が成立、親権は前の奥様に持って頂くようになりました。

私が親権をあきらめた理由はいくつかありますが、娘が女性特有の悩みを抱える年頃になったときに、男である私よりも母親の存在が重要になると考えたことが決め手となっています。

もちろん、親権を持たないからといって、父親としての責任を放棄することはありません。

娘の人間関係に関するトラブルの対応は、嬉しいことに私が任されていたので、学校の先生方、相手方の親など、話し合いをすることも多々ありました。

最初は可愛い揉めごとで終わっていましたが、娘が大きくなるにつれて揉めごとも難解になっていきました。

中学生ぐらいの歳の子が、一度でも人間関係を拗らせてしまうと、解決するまで半年以上かかることもあります。

人間関係のトラブルを娘と乗り越えてきたこともあり、娘が思春期になっても私と手を繋いで買い物に出掛けてくれるほど、私を嫌がらずに仲良くしてくれます。

とはいえ、親の勝手な都合で寂しい思いをさせていることは確かなので、今以上に仲良くしてくれるように親の責任を果たしていきたいと思っています。

再婚に関しても、娘がある程度の年齢になるまでは再婚を考えていなかったので、離婚をしてから7年間は独り身で過ごしてきました。

今の奥様に出会ったのは娘が4歳のときでしたが、交際がはじまったのは娘が10歳のときです。

交際のきっかけは娘が10歳になる頃に、再婚のことについて娘と2人で話し合いをした結果、再婚を考えるようになったことです。

今の奥様にとって、私との結婚が人生で最初の結婚ということもあって、色々な問題を乗り越えながら、私と結婚をしてくれたことに感謝をしています。

再婚をしてからは、今の奥様と不妊治療という長い道のりを夫婦二人三脚で歩き続け、6年後に息子が産まれることになりました。

そんな可愛い子供たちを通して、私がこれまで経験してきたことを記事にしてみたいと思うようになったのは、何冊かの育児本を読んだのがきっかけです。

科学的根拠に基づいて育児本は書かれているので、どれも素晴らしいことを書いているのですが、育児本から泥臭さを感じることができませんでした。

確かに自分の子育てを振り返ったときに、理路整然と子育てについて話せるようになるのが理想だとは思いますが、それって誰目線の子育てなんだろうと疑問に思うこともあります。

私が感じてきた子育ては、子供が感じるままに自分も感じて、子供が動くままに自分も動いて、子供の熱量をそのまま自分が受け取っていくものでした。

私の子育てを振り返ると、ジェットコースターのように喜怒哀楽が激しい思い出ばかりですが、それが私の宝物になっているのも事実としてあります。

宝物に囲まれた人生を過ごしたいからこそ、私は泥まみれの子育てを楽しんでいます。


子育てに疲れた人が私の記事を読んで、泥臭さを前面に押し出しながら子育てをするのも悪くないなと、思ってもらえれば幸いです。


記念すべき最初のトラブル


娘の最初のトラブルは、保育園の年中さんのときに、活発な男の子に背中を押されて派手に転んだことでした。

派手に転んだ娘は可哀想と思いますが、保育園という場所は日常的に子供たちの衝突が起こる場所だと思っています。

保育園から説明を受けたときも「仕方がない」と思っていましたが、保育士さんの「仕方がない」というような態度に違和感を覚えたことがありました。

例えば、公共の乗り物を利用した際に事故が起きて、自分が怪我をしているのに「仕方がない」というよな態度を運転手さんに取られたらどうでしょうか。 

当然、公共の乗り物を利用していれば事故に遭うこともあるので、利用する側が「仕方がない」という気持ちを持って利用するのは自然な成り行きだと思います。

ですが、公共の乗り物を運転している方が「仕方がない」というような態度を取るのは的外れだと思いませんか。

事故は避けられないから「仕方がない」と切り捨ててしまうと、安全に関する注意喚起がおろそかになってしまいます。

そうなってしまうと、いつ事故が起きてもおかしくない状況になるので、最初から「仕方がない」と思ってしまうのは、利用者に対して安全に関する注意喚起を怠っているという意思表示をしていることになります。

お互いにある程度の緊張感を持って、利用する側と提供する側の関係性を越えないようにしていきましょうと、保育士さんと話し合いをしたのが最初のトラブルです。

最初のトラブルでは、どうしようもないことでも、ときには関わり続けることが大事だということを学ばせてもらいました。

こんなことで学んでる私を、他人は知識不足と思うかもしれませんが、知識というものは誰にでも当てはまる万能なモノではないと思っています。

当てはまるも、当てはまらないも、実際の経験から推測するしかありません。

子育ての経験則は子育ての中でしか学べないので、知識を豊富に持っていることよりも、ゼロからはじめることが重要なことだと思います。


奇数はトラブルのはじまり

小学校に上がった娘のトラブルを振り返ってみれば、子供たちが奇数で集まると衝突することが多くなる傾向がありました。

集団の中で主導権を握りたい子、天真爛漫な子、子供なりの規律を守りたい子など、個性あふれる子供たちが集まるだけでも何かが起きそうなものですが、そこに微妙な関係を作りやすい奇数が加われば衝突が起きても不思議ではないですよね。

大人でも、3人、5人、7人など、奇数で人が集まると微妙なパワーバランスがうまれたりするので、感情をダイレクトに表現する子供となればなおさらです。

私の娘は自分の意見を表現するのが苦手で八方美人なところがあるため、主導権を握りたい子との相性がよくありません。

主導権を握りたい子は自分の意見をしっかりと表現する子が多く、娘のように八方美人は優柔不断だと思われてしまうからです。

そんな娘がよくハマる典型的なパターンは、3人1組になって遊んでいるときに、主導権を握りたい子が混ざっていると、2体1に分かれて娘が孤立してしまうことでした。

娘を思うと心が痛いですが、世の中には相性がよくない相手は山ほどいるため、私が直接的に介入することはしませんでした。

ただ娘には、「自分がされて嫌なことを相手にもしないように気をつけてくれるのが本当の友達なんだよ。だから、本当の友達と遊ぶ時間を増やすことができたら、今よりもっと楽しいよね。」と話をしながら、娘の好きなゲームを一緒にしたことを覚えています。

もちろん、八方美人の娘にも非があることは確かなので、娘にも気をつけるように話をしています。

その後は、娘が一緒に遊んで楽しいと思える相手と遊ぶようになったので、父親として一安心しましたが、このトラブルで見守る勇気を学ばせてもらいました。

私が先回りをすればするほど、娘の考える力、娘の行動力、娘の対話力といった成長の邪魔をすることがあるからです。

見守る勇気が必要な場面もあるということを自分自身に言いきかせて、子供の成長の妨げにならないように心掛けるようになりました。


小さな集団のトラブルメーカー

小学校中学年にもなると、高学年の子供たちと遊ぶ機会が多くなるので、私の娘も小学校中学年になってから、高学年の子供たちと遊ぶようになりました。

中学年の子供たちにとって、高学年の子供たちと遊ぶことは良い面も悪い面もあると思っています。

良い面でいえば、中学年の子供たちでは思いつかない遊び方など、高学年の子供たちが提案してくれるので、中学年の子供たちは色々な刺激を受けることができる。

悪い面に関しては、高学年の子供たちの性格に大きく左右されることなので、一概に悪いことだとは言えませんが、小さな集団のリーダーである高学年の子供たちが攻撃的な性格だった場合は、中学年の子供たちがコントロールされてしまうことがあります。

リーダーにコントロールされた小さな集団は、リーダーが標的を決めてしまうとイジメに発展する可能性が高くなる。

実際に娘の友達が標的にされたことがあり、友達を助けようとした娘も、小さな集団のリーダーに目をつけられたことがあります。

その場から逃げるようにして家に帰ってきたので、そのときは大きな問題にはなりませんでしたが、小さな集団のリーダーがしつこいタイプだったらしく、娘と娘の友達を見つけると嫌がらせをするようになりました。

私は小さな集団のリーダーの親御さんを交えながら、当事者同士の話し合いをする必要があると判断して、親御さんに会いに行くことにしました。

もちろん、娘との話し合いを十分にした結果、親御さんに会いに行くことを娘と決めています。

突然の訪問だったこともあり、親御さんは驚きを隠せない様子でしたが、娘との話し合いに快く応じてくれました。

私と親御さんが見守っている中で当事者同士の話し合いが始まるや否や、親御さんが自分の子供を問い詰めだしたので、私が間に入って必要以上に追い詰めないようにしました。

私の目的は、当事者の目の前で親御さんと今起きていることを共有することで、今後は親同士が繋がっているかもしれないと、子供なりの恐れを抱いてもらうことにあります。

攻撃的な性格だとしても、恐れを抱いた子供からすれば、娘をいじめる行為そのものが自分にとって、デメリットになると考えさせることができるからです。

表面的な効果を期待して白黒つけるよりも、抑止力として内面的に作用し続けるようにすることが最善の選択です。

その結果、娘も娘の友達も嫌がらせを受けるどころか、一緒に遊んでくれるほど仲良くなりました。

この経験で学んだことは、親が感情のままに動いても自己満足でしかないということです。

今後も関わりをもたなければならない子供の意見を無視した解決方法は、2次被害、3次被害を引き起こすことになる。

子供の心に寄り添った解決方法を、子供と一緒に考えることが最善の選択に繋がります。


画面越しのトラブル

早いもので小学校生活の終わりを迎え、新たに中学校生活がはじまりました。

中学生になると、交友関係を広げるツールとして、スマートフォンを利用する子供たちが増えると思います。

中学生の多感な時期にスマートフォンを利用するということは、トラブルを引き起こす危険があります。

代表的なトラブルとして、LINEトラブルが挙げられる。

LINEには、グループトーク、既読、スクリーンショット、拡散など、日常的に役立つ機能がありますが、扱い方を間違えると人間関係をこじらせます。

娘が通っている中学校でも、LINEトラブルで人間関係をこじらせてしまった子供たちがいました。

その子供たちの中に、私の娘も含まれています。

詳しい内容を書くことはできませんが、グループトーク内でのやり取りがエスカレートした結果、学校側と保護者側が子供たちのLINEトラブルに介入しました。

介入後は、現状の把握を最優先に考えた学校側と保護者側が、子供たちのグループトーク内のやり取りを閲覧した後で、話し合いが行われました。

当たり前ですが、子供たちのグループトークに自分の子供以外も含まれているため、それぞれの保護者が自分の子供に確認を取ってから、子供たちのグループトークを閲覧している。

グループトーク内のやり取りを閲覧した学校側と保護者側は、コミュニケーション能力が未発達だったこともあり、画面の向こうにいる相手の言葉が指し示す意味を共有できていないことが原因だと判断しました。

最終的に子供たちが納得する形で、LINEトラブルは解決しています。

今回のLINEトラブルは、日常的に役立つ機能を利用している娘に対して、相手に伝えるコミュニケーションと、相手に伝わるコミュニケーションの違いを教えてこなかった私に責任があります。

もしかすると、私も娘に教えているつもりになっているだけで、本当は伝わっていないコミュニケーションの取り方をしているのかもしれません。

私自身が伝えることよりも、伝わる努力をしなければいけないことを学びました。


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