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掌編小説『救い』

 木元は、僕の質問の後に芋焼酎のロックを煽ってから、独り言の如くつぶやいた。
「大して理由があってド田舎にきた訳じゃないさ。都会の居心地が悪かっただけだよ。幾分こっちの方がマシなだけ」
「それだけか?」
「うん、それだけだね」
木元から漂う微細なかったるさと、僕の頭に次の言葉が浮かんで来ないが故生まれた、5秒にも満たない間の悪さを埋めるよう、僕は透明なグラスに注がれた焼酎を一息に呑み下した。

 木元は新卒で入社した東京の会社の同期だった。五〇名程度のSaasを扱うベンチャー企業だったが、僕は当時から木元に理解できない部分を感じていた。営業の成績は常に最下位、テレアポの架電数も商談へのトスアップも、他の同期から抜きん出て少なかった。それにも関わらず、一切の葛藤も感じさせず、むしろ自己確信感というのか、一種の太々しさを感じさせるのだ。
 木元は一年と経たず退職し、そのまま地方の小さなカフェで働き始めた。彼の無根拠な太々しさに腹立たしさを感じていた僕にとっては清々とした気持ちになる出来事であった。

 その後僕は、三年目にして社内で年間のMVPを獲得し、その一ヶ月後に適応障害の診断を受け、休職することとなった。なぜ適応障害になったかは分からない。ただ、全力で走った対価がこの程度なのかという虚しさを、MVPの表彰式で場にそぐわず考えていたことは覚えている。二ヶ月与えられた休職期間は実に退屈だった。狭いワンルームの天井をぼうっと見上げていた時、数少ない趣味である旅行でも目一杯満喫しようと思い立ち、何故か腹立たしくあった木元の元に立ち寄ったわけだ。

 僕は空になったグラスを照明にかざしながら「正直さ」とつぶやき、そのすぐ後に続けた。
「木元の生き方、この先大丈夫なの?正直島のカフェで働いてても、キャリアとしても微妙だし、バリスタとしても大成しないんじゃあねぇの?」
木元は鼻から、少し長めに嘆息を漏らした。
「キャリア?大成?それに縋って救われた試しは、僕にはないな。最も、神にであろうが科学にであろうが、救って欲しいなんて想いはもう、持つ気もないけどね」
少し濁った目で漏らしたその声は、希望や夢の正反対に存在する音のように聞こえた。

僕は彼の家を出てから自販機で缶コーヒーを買って、煙草に火を付けた。吐き出した煙を目で追っても、それが消える瞬間を捉えることはできなかった。

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