町田 京平
時に幸せを、喜びを、 時に苦しさを、寂しさを、 その日その時ありのまま、気まぐれなエッセイたち。
人生を豊かにするために、 あらゆる事象を、 学術的な知識も基にしながら考察してゆくマガジンです。
あなたの苦しさが紛れたり、傷が癒されたり、 あなたの人生がもっとワクワクしたり、味わい深くなったり。 「言葉は欲しい時に、向こうからやってくる」 だからこそ、 いつかどこかの誰かに、欲しい時に届いてくれたらいい。 そんな想いを”載せて”。
エッセイとは打って変わって、 心理学やセルフコンパッション、NVCなどの知見から、 幸せで豊かな人生をつくるためのエッセンスをお届けします。
僕は君を愛している。 君は僕に恋をしている。 僕は君に幸せになってほしい。 君は僕に幸せにしてほしい。 重なるようで重ならないね。 幸せになってほしいからこそ、 君と話をするたびにもどかしく、切なくなるんだ。 これもきっといつか ずっと感じていればいつか 発酵して味わい深くなった愛になって 伝わるだろうかな。
アルコールで溶けた脳みそでただひらがなを書いた。おもいついたことば、耳にはいってきた歌詞。 「あおいえう」「じゃいあんとぱんだ」「すまとらとらとら」「なけてきちゃった」 書きながら、ふふふとわらった
なんとなく死にたい 殺されそうになったら争うし 明日の仕事のために今日は寝ようと思うし 多分今日も僕は生きるのだろうけれど なんとなく死にたい 僕は割と自由を与えられた環境で 食うものにも住むとこにも困らず 死ぬ方がマシだ、というような場所にいるわけではないのだけれど なんとなく死にたい 本当に死に向かう人の前では言えない 大切な人が死んだ人の前では言えないけれど なんとなく死にたい 一人掛けのソファでぐったりと しばしばしたぼんやりした目で 指先だけ
「朝まで飲みましょ、」 と言うと 「いいよ。でもセックスはしないよ」 と応えた。 その言葉は まるで日曜日の吉祥寺をぷらつきながら 足を休めるカフェを探している時に交わすなんの気のない会話みたいなトーンで放たれて、 少し高いしゃがれた声は渋谷の夜の風に流されていった。 僕は一つ歳上のその女性の きっぱりとしたその態度が好きだった。 屈託のない自己確信を持っているでもないのだが、 不安や悲しみも、まどろみも快楽も混濁した情緒を内に抱えながら なぜだかその態度には揺るがな
日常に不穏な空気が漂ってきて これは夜更けの風と一緒に流れていく類のものでなく 毎朝立ち込める霧のようなものだと予感し始めたのが昨日。 今日「あの人に手紙を書こう」とふと思い、途端、気付く。 彼女は私にとって特別過ぎたのだ。 小さく細い身体に 会うたびに目を惹く鎖骨。 雨が近づけばものが喉を通らなくなり篭りがちになる彼女は 繊細さとか弱さを体現しているように思えた。 それでも その艶かしい胸元からは 彼女が生きていることを沸々と感じさせられた。 "生"の雰囲気を纏わ
私はもとよりなにも持っていない。 世界からいのちを、肉体を、心を物を 与えられた存在なのだ。 そう、だからすべてのことは 世界のせい。 世界のせいなのだ。 それでも この身に降り注ぐ不幸というものは この身をもってして 避けたり浴びたりしなきゃならないのが 人生の厄介さであるなぁ。
ほんとうのきもち なんてのは存在しないんだ。 僕らは流れ移りゆく渓流のごとく、 その水のアウトラインは維持されているようで 刻一刻とその内実を変えていく。 雨の日の僕らと 晴れの日の僕らは違う 出会った時の僕らと サヨナラの時の僕らは違う ほんとうのきもち なんてものは、 渓流の流れを この小さな手で堰き止められないように 指と指の隙間を美しく流れ去る流体だ。 すべて幻想だろうか? すべてがいつわりのきもち、だろうか? それもまた違う。 その流れは掴めないけれ
君の冷たくなった手 なんて表現をしたくなるのは 君が僕にとって あたたかすぎたから
僕は恋という気持ちを失って数年が経った 20代後半という時を、今生きているけれど、 恋という”新しさへの希望”から長らく離れた今になってまさか、 度々思い起こし忘れられぬ夜を過ごすことになるとは、思ってもいなかった。 しかしながら、忘れられぬ夜というのは 人生に飽き始めた今だからこそ訪れるものなのかもしれない。 「こんなものだ」と思い込んでいた自分、人との関係、そして人生。 それが一夜のセックスの中で崩されるという あまりにも突然で意外性のある展開に、 ルーティンワー
木元は、僕の質問の後に芋焼酎のロックを煽ってから、独り言の如くつぶやいた。 「大して理由があってド田舎にきた訳じゃないさ。都会の居心地が悪かっただけだよ。幾分こっちの方がマシなだけ」 「それだけか?」 「うん、それだけだね」 木元から漂う微細なかったるさと、僕の頭に次の言葉が浮かんで来ないが故生まれた、5秒にも満たない間の悪さを埋めるよう、僕は透明なグラスに注がれた焼酎を一息に呑み下した。 木元は新卒で入社した東京の会社の同期だった。五〇名程度のSaasを扱うベンチャー
真っ暗な海の真ん中に一人 漕いで漕いで 人の住む海岸線の灯りから離れるほどに 天井を彩る星たちは輝きを増した ひとかきすれば 生ぬるい水の中で 夜光虫が光の道をつくる 僕はここまで漕ぎ出してやっと 無数の光に囲まれていたことに気がついたのだ 漕いでも漕いでも どこにも辿り着けそうにない 深い闇の中で
彼なら死んでも仕方なかったと思う。 頭ではそう思う。 でも、どうしても、 死んで欲しくなかったって思う。 そんな風に考えてくれる人間が 三人くらい居ればいい。 「一人居ればいい」 の方がカッコいいけどね、 ワガママだ、ゆるしてくれ。
ここ数ヶ月は「死にたい」と思わなかった。 できれば生きたいと、 できればより多くの人と 価値観や感じたことをシェアできたらハッピーだと、 思った。 これを煩悩というのか 健康的というのか 誰がどう観るかは分からないけれど。 多分収まるべき場所に収まるというのは、 こういうことだという実感は 少しばかりではあるが、感じている。 生きるのは 強者でなく 適者だ。 その真理は 真実か、虚偽か、 判断は付かねど、 適者であろうと決めた私は 私に対して
なんだろなぁ。 とっても心地よい毎日なのだけど それを分かち合いたいと望む僕がいる。 旅をして 気ままに暮らして 体に悪いお酒も飲んで 程よく 味わい深く暮らしているのだけれど 愉しいねぇ 味わい深いねぇ 豊かだねぇ と分かち合える 誰かがいればよいと切に願います。 映画『イントゥ・ザ・ワイルド』 で主人公のクリスが 最期に書き残した 「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」 という言葉。
胸がぐわんぐわんなる。 全ての出来事と人間関係が腹立たしくなり、 そんな自分が虚しく思え、 全ての選択肢が面倒に思える。 そんな自分が自分の中に存在して 時々乗っ取ってしまうのだから、 私は私を信じていない。 どんなにご機嫌な自分が何を成し遂げようと、 それは不機嫌な自分にとっては他人だ。 ただ布団の中で意識を失うのを待つ自分だけが 自分だ。
私には弱くて繊細な部分があります。 だからすぐに、頭の中に「死にたい」という言葉が浮ぶことが多かったです。 1年と少し前のある時、 高いところから飛び降りて死のうとしました。 その時、「怖い」と思う自分がいました。 ハッと気付いたのです。 この一歩を踏み出せば死ねるのに、 俺は死ななかった。 いつでも踏み出せる一歩を、 俺はこの25年間踏み出してこなかった。 何度も「死にたい」と考えたけれど、 結局俺は、「死にたくない」んだ。 その時から考え方が少しずつ変わってゆき