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本来、いじられるの好きな人いない説

中高あたりからいじられキャラとして定評のある私ですが、
ずっと自分の中にある説が「本来、いじられるの好きな人いない説」です。
 
いじられキャラと言いながら、
頻繁にいじられるのは嫌いな私ですが、
これを読んでいる方にも、そういう方いらっしゃるんではないでしょうか?
 
 
 
 
 
そもそもいじられるというのは、
本来、生き物・人間として気持ちの良いことではないはず(だと思ってます)。
 
冗談とはいえ、自分の価値が蔑まれる訳ですから。
 
 
 
 
 
それでもいじられる人がいるのには、一言で言えば、
「存在がなくなるよりは"マシ"」
という気持ちからじゃあないでしょうか。
 
アドラー心理学では有名ですが、
賞罰が基本のこの社会では
人はポジティブな面で認められなければ
グレたりして、ネガティブでも良いから存在を見てもらおうとします。
 
 
また、動物としての観点でも似たようなことが起こります。
例えばお猿さん。

どうしても勝てなかったボス猿には従い、
おこぼれをもらうようになるのが群れの習性。
面白いことに、ボス猿が長期不在になると、
荒々しい支配に耐え、大人しかった子分たちもまた勢力争いを始めるそうな。
 
つまり、動物だって、本当はポジティブな面で讃えられたいけれど、
敵わないなら"不本意ながら"影響力が強い人の言いなりになり、
存在を存続させること(食べ物にありついて生き延びること)を優先させる訳です。
 
 
 
 
 
人は本来、
存在を承認された上で、
肯定されたい(チヤホヤされたい、すごいって言われたい)もんじゃあないでしょうか。
 
もちろん、いじられることを武器にうまくやってる人もいます。
 
ただ、RPGゲームみたいに、
なんの経験もしていない人生の最初に
「タタエラレル」「イジラレル」のどちらかの職業を選べるとしたら、
「タタエラレル」を選ぶ人がほとんどなんじゃないでしょうか。
 
いじられることに肯定的な感覚を得られる人も、
後天的にポジティブなイメージと"いじられる"が結びついたために、
結果的に肯定的に感じられるようになったんじゃないかっていうのが個人的な仮説です。
 
(例)
・いじられたら笑ってもらえた→いじられる=ユーモラスだ
・いじられたらいじめを回避できた→いじられる=自分を守ってくれるんだ
 
 
 
 
 
これらはあくまで今までの経験と知識を集めた仮説ですが。
「いまさらキャラも変えられないけどいじられるより受け入れられたい認められたい」
って人、意外といるんじゃないでしょうか?
 
写真は、暑い中のPC作業で臭くなったお椅子を
本日天日干しした時の写真です。

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