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収まるべき場所

ここ数ヶ月は「死にたい」と思わなかった。
 
できれば生きたいと、
できればより多くの人と
価値観や感じたことをシェアできたらハッピーだと、
思った。
 
これを煩悩というのか
健康的というのか
誰がどう観るかは分からないけれど。
 
多分収まるべき場所に収まるというのは、
こういうことだという実感は
少しばかりではあるが、感じている。
 
 
 
生きるのは
強者でなく
適者だ。
 
その真理は
真実か、虚偽か、
 
判断は付かねど、
適者であろうと決めた私は
私に対して
心地良い。
 
 
 
主観が己であるのなら、
肉体と心理が
己に与えられた最も近い客体であるのなら、
 
この心地良さは
この肉体における正しさと取っても、
良いのだろうか。

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