自分の弱さを直視し、含み超える
ここ最近、自分の人生の課題を認識したり、丹田を意識したりと、何かと内面的な変化が起こっている気がします。
具体的には、すごく落ち着いているというか、心がどっしりした気がします。
今までだったら傷ついて考えこんでしまっていたであろうことにも動じなくなったし、ちょっとしんどい場面でも割とフラットに構えることができている気がします。
それは何でだろうなと思ったら、きっと自分の弱さと向き合って含み超えることができたからかなと思います。
これまで何回か書いている通り、私の根底には「世界に対する不安」があります。
世界は私の敵である。
ゆえに私は努力し、頑張らないと存在することができない。
完璧でないといけない。評価されないといけない。自分の身を守るので精一杯。
そんな感覚が根底にはあります。
きっとこれ自体は今でも変わっていないのだと思います。
これから死ぬまで、私の根底にあり続ける考えだと思います。
でも、最近はそれがあることを認めたうえで、「そうじゃないよね」という感覚が大きくなっている気がします。
優れていなくても、評価されなくても、私は私のままでいい。
そういう安心感というか、大きな安らぎみたいなものが、根底にある不安を包み込んでくれている気がします。
だからこそ、これまで委縮していたような場面でも、自分を保ち続けられているのかもしれません。
これは決して、その不安を否定している訳ではありません。
不安を直視し、認めたうえで、それを受け入れている感覚。
成人発達理論で言うところの、「含み超える」ような感覚です。
私は私を否定しない。弱い自分も受け入れる。
そのうえで、これからの未来に向かって歩いていく。
これからは、自分の不安を満たすためではなく、人生の課題を歩む中で、自分の影響力を周囲に与えていく。
そうやって生きていく覚悟ができた気もします。
それこそ、自分の人生の課題を認識したことも大きいかもしれません。
「成長」と言うと、どうしてもスキルや能力などのハード面に意識が生きがちですが、個人的には、このような精神的なソフト面での成長もとても重要だと思います。
分からないけど、幼少期の経験もあり、私は人よりも精神的な発達が遅かったのかなと思います。
だから、こういった精神的な成長を今になってすごく感じているのかもしれません。
だから、他の人からしたら、「今気づいたの?」とか言われるかもしれません。
でも、私はひたすら自分の弱いところ、嫌なところに目を向けることで成長できた。
その事実は、こうやって多くの人に知ってもらいたい、役に立ってほしいなと思っています。
私の成長の軌跡が、誰かの役に立ちますように。。。
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