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夏休みに入院した高一の記憶

高校一年生の夏休みが始まったばかりの頃、 海に行き負傷。
不注意による事故で右足がまんまるに腫れ上がっていました。
自力で行った救急病院の医師は、丸く腫れ上がった足を見て「この腫れが引かなかったら足首から切断するしかありません」と僕に残酷な通告。

当面入院をすることになってしまい、初めての入院生活を経験しました。
そのことをつづります。

入院することになった事故は、是非、この記事を読んでみてください。
ドジっぽさがわかると思います。

三人部屋の病室  

初めての入院です。
不安がいっぱいのままベッドに運ばれました。
足は絶対に切りたくないなという思いと怖さで、気持ちは最悪の状態でした。
しかも、入院する病室は3人部屋でしたが、誰も入院していません。僕だけです。なぜか真ん中のベッドを使うことになりました。

そんなに美味しくない朝食、昼食、夕食ですが、気分的に最悪に沈んでいるので、なおさら食欲が湧きません。
また、病院では早い消灯時間なので余計に寝付けません。

一週間が経って、そんな入院生活に慣れてきた頃に、定期的に病院に来ている専門の先生が僕のレントゲン写真を見てから「複雑骨折」であると告げられ、急遽右足にギプスをすることになりました。変な話ですが、足首から切り落とす必要がないということが確認できたので、遅れたギプス対応に対して怒りより安堵感の方が優っていたように思います。結局、初見は誤診だったのです。。。

最初の右隣に獣医さん

僕が入院した時は、両隣は空きでしたが、しばらくして右隣に、近くの動物病院の先生が盲腸で入院されてきました。
手術も問題なく3-4日経つと、ほとんど良くなっているようで今後数日で退院ということらしく少しの間の同部屋となりました。

なぜか、この獣医さんとはすぐに打ち解けて、いろんな話をしたり、ベッドの上で花札をして遊んでいた記憶があります。なぜ、打ち解けたか記憶していませんが、獣医さんが親しげに話しかけてくれたような気がします。それになぜ獣医さんが花札を持っていたのかも今となっては謎です。

「どうしたの? 」
「足を岩で潰したんですよ。。。」
「えー、何してたの?」
「実は。。。」(→ 海と入院を参照してください)
ことの顛末を話すと、笑いこけられ、
「痛い、痛い」と、お腹をおさえていました。まぁ、普通そうですよね。

獣医さんも気さくな人だったので、よく話をしたのかもしれません。
いつものように獣医さんと花札をしていたら、急に左隣が騒がしくなり、お互いに顔を見合わせました。

「新しい入院患者さんが入ってきそうだね」
「そうですね」

ちょっと重苦しい空気に変わりました。

同室での不幸   

いきなり、看護師さん数人が病室に入ってきて、ベッドを整え、ベッドの間を仕切るカーテンがシャーという音と共に閉められました。

その後、患者さんが運ばれてくる音が聞こえてきました。
どうやら、ストレッチャーみたいなものに乗せられているようです。
また、その時には既に意識が無いような感じでした。横について来ている先生が、しきりに患者さんの名前を呼んでいるのが聞こえていました。

私と右隣の獣医さんは、何か異様な空気を感じて、お互いのベッドで静かにしました。

「なんかやばいみたいだから花札はやめよう」
「そうですね、なんか雰囲気違いますね」
「お互いに自分のベッドで寝ていよう」
「了解です」

お互いのベッドに戻り、寝る状態になった時、左隣から泣き叫ぶ声が聞こえました。先生のご臨終ですという言葉の後でした。なぜか隣にいた僕は、耳だけがダンボ状態でした。

「おとうさーん、おとうさーん、わーっ」

付き添っていたのは奥様のようでした。年配の夫婦だったようです。
後から聞きましたが、脳卒中で運ばれてきて、意識を取り戻すことなく息を引き取られたのだそうです。はっきりと記憶していませんが、僕たちが夕飯を食べた後に運ばれてきて、2-3時間程度の入院で逝去されたのではと思います。

僕と獣医さんはお互いの顔を確認しながら、静かにしておかなければいけないという空気を感じました。

その日のうちに、左隣の患者さんは顔を見ることもなく、病室から運び出され、翌日には、ベッドもきれいになりました。

なんとなく、人の死のあっけなさを感じた高校一年生の夏でした。
この後、数日後には右隣の樹医さんが無事退院されていきました。

空いた左隣にアル中患者

病院のベッドはなかなか空いたままで長期間が経過することはなく、次の患者さんが入ってきました。

近くの寿司屋のマスターでした。奥様が連れ添って入院されたようですが、どうも急性アルコール中毒だったようです。
夕方に入院してきたのですが、かなり、訳のわからないことを叫んでいました。
カーテン一枚で仕切られたベッドにいる僕は、怖くて仕方ありませんでした。

そのまま夜となり、隣が静かになるのを確認して眠りに落ちました。
翌日、目が覚めて挨拶すると、昨日の晩とは全く違い、優しい小柄なマスターがベッドに座っていました。ただ、右手が小刻みに震えている以外は全く静かな人です。

「入院することになったけど、病院は暇だよなー」
「そ、そうですね プラモデルでも作ってみたらどうですか?」
「プラモデル? やったことないけど教えてくれる?」
「も、もちろんです」 内心しまったと思ったものでした。

なぜか、プラモデル作りを勧めてしまったのです。手が震えていたのでリハビリになるんじゃないかなと思いました。よく考えれば病室で接着剤とか使っていいのかなと思いましたが、緩やかな時代ということもあり、先生の許可がおりました。
しかし、プラモデルを買いに行くことはできないので、友達に頼みました。

刀とか、簡単なお城のプラモデルを探して買ってくるように依頼し、近くの玩具屋さんまでいってもらいました。

このことは的を得たようで、寿司屋のマスターは、初めての経験だよと言いながら、接着剤のはみ出た刀のプラモデルを作っていました。大体アルコールが体から抜けてしまうことを確認するまでの入院だったらしく、10日間程度で退院していきました。

「今度、うちに寿司を食べにきてくれ、俺の奢りだから安心して来ていいよ」
と気前のいい言葉を残して退院されましたが、ちょっと距離ある場所だったのでその後行くことはありませんでした。

この時には、既に右隣の獣医さんも既に退院されていた後なので、また、3人部屋にポツンと一人になってしまいました。

「僕が一番長い入院患者だなぁ」
「最初の状態に戻っただけだけどね」と、ひとり言。

この頃は、一人で暇な時間が多くできたので、友達が見舞いに来たときに、家に行ってギターを持ってきてくれるように頼みました。普通、病院でギターはダメだと思いますよね。でも緩かったんでしょうね、当時は。先生に相談すると、「若いから仕方ないね、あまり大きな音は立てないということで許可しよう」と快諾でした。

これで暇な時間を弄ぶことは無くなりました。その時の友達は、ギターとともに、何を考えてたのか「因数分解」の問題をお見舞いと称して持って来てくれました。どうせ暇なんだから、頭も少し使えという意味だったようです。その友達は数学が得意だったのです。


トイレでのアクシデント

なんとか、松葉杖にも慣れてきて、問題なく使いこなせていました。
松葉杖の先端には滑り止めのためのゴムがつけられており、病院の廊下などでしっかりグリップするようになっています。
意外と慣れると、右足を浮かしたままでかなり行動できるもんだなと思っていました。

ある日、いつものようにトイレに行く時も使っていました。慣れているので、スタスタと進んでいきました。
病院のトイレには緊急時に看護師さんを呼べるようにボタンが設置されています。
個室には、それぞれの部屋に設置されています。当時は、まだ洋式トイレは設置されておらず、全て和式でした。右足を骨折して膝から下にギプスをしているとかなり体制はきついですね。想像できると思いますが。。。
また、毎朝早くにトイレはきれいに掃除されるので、床面は多少の水が残っています。

そうです。もうお分かりかと思いますが、個室に入り、ロックするために松葉杖に体重をかけた途端、濡れている床面を松葉杖はグリップできず、ずるっと滑りました。危ないと思い、松葉杖から手を離し、壁に手をつきました。なんとかセーフで、転ろばずに済みました。すると、ドアが勢いよくノックされ、声がしました。

「どうしました。大丈夫ですか。開けましょうか?」

看護師さんが助けに来ていたのです。そうです、私の右手は見事に呼び出しボタンを押していました。

「いえ、大丈夫です。ちょっと間違えてボタンを押しました。」
「そうですか。何かあればすぐ呼んでくださいね。」
「分かりました。すみません。。。」

いやー、恥ずかしかったなぁ。ドア越しだったからまだ良かったけどと冷や汗を流したのを覚えています。カッコ悪ーい。

右隣に同級生  

しばらくすると、個室にはいっていた同級生が僕が入っている3人部屋に移動して来ました。どうやら、寂しかったようです。彼は、蓄膿症の手術が終わってしばらく入院するようでした。それほど仲が良いわけではありませんでしたが、一人でいるよりは良かったようです。

まぁ、僕としてはあまり気にしないでマイペースの入院生活を過ごしていくことにしまた。

この頃には、ギプスも外されて元の大きさになった右足を見ることができました。足首が固定されていたので、リハビリが始まっといました。本来なら、もっと前に退院して通院ということになっていたのでしょうが、誤診から始まってしまったということと、通院するには自宅から距離があること、足なので生活に不自由なことなどを考え、リハビリが終わるまで入院ということになったのです。リハビリも問題なく順調に進みました。

退院

やっとのことで退院に漕ぎ着けました。それまで、色々と話をしていた看護師さんの旦那さんが造園業を営んでいるということで、退院後のバイトを紹介してくれました。

僕もやったことがないアルバイトだったので、ノリノリでお願いして、夏休みの残り時間を造園業でのアルバイトで過ごすことになりました。

足は、治っていたのでウキウキで初めての経験の造園業のバイトに打ち込みました。これはとても面白かったですね。庭を作る作業のお手伝いでした。
この時の経験は別の機会に書きたいと思います。

皆さんは入院でおもしろい経験はありますか?
無いに越したことはありませんが、あれば是非教えてください。

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