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【SS】Escape #たいらとショートショート

トイレに行きたい。
大勢の警官に部屋に乗り込まれ、完全に囲まれてしまった男は、逮捕されることを覚悟した。ただ、その前に出すものは出していきたいし、着替えもしていきたいと思ったので警官たちに訴えた。この男は国際指名手配されていたプロの窃盗団のリーダーだった。このアパートに住んで一年程度だがなぜか居場所を突き止められてしまったのだ。男はもう少し見つかることはないだろうとタカを括っていたが見事に想定は覆され突然踏み込まれたのだった。ここはフランスの凱旋門からほど近い古ぼけたアパートの一室だ。入居した時に内装は突貫工事で新しくしたのに、もう見つかってしまうとは思ってもいなかった。

 男が住んでいるアパートのバスルームには窓がついていないことは事前に確認済みだったため、警官たちはバスルームのドアの前に陣取り、男がトイレに入ることを許可した。はじめ警官たちは「ドアは開けたまま用を足せ」と言っていたが、男は「大きい方だから匂うよ。どうせ逃げる場所はないんだからドア閉めてもいいだろ」と切り返し、警官たちも見たくもないし匂いも嗅ぎたくないのでドアを閉めることを許可した。男は、古くなって回る音がうるさくなっている換気扇のスイッチを入れ、トイレに入った。トイレはバスルームと兼用になっているのでそれなりに広い。換気扇は意図的に古いままにしてあった。音がする方が都合がいいのだ。男はドアを閉め換気扇のうるさい音がしていることを確認すると、バスタブを押して回転させた。そこには仕込んであった下の階の部屋に通じる隠し扉があった。そしてそのまま隠し扉を開け中に入り、バスタブを元の位置に戻して下の階の部屋へと移動したのだ。当然下の部屋のバスルームにつながっていた。

 男は違う名前を使って、上下の部屋を借りていた。下の階に降りた男は隠し扉が開かない様に頑丈な鍵とつっかい棒をして秘密の出入り口を塞いだ。そして、下の階の部屋に準備してあった、ビジネスマンに見えるスーツに着替え、かつらを被り、サングラスをかけた。アタッシュケースには現金、パスポートをありったけ詰め込み、スマホを3台とPCを一台持って玄関を出て鍵をかけ、静かにアパートから出ていった。

 ここまでの所要時間はわずか5分だった。警官たちはまだトイレのドアの前で仁王立ちしている。だれも外を気にするものはいない。ドアの前の警官が「まだか」と声をかけるが返事がない。警官はおかしいと思い、ドアを蹴破ってバスルームに入った。そこで警官たちは男に逃げられたことに気づいた。「しまった」警官たちの間で怒号が飛び交った。警官たちはバスルームを調べるものと外に出て男の行方を調査するチームに分かれてそそくさと活動を開始した。

 その時男は、タクシーを拾って50分程度時間がかかるシャルル・ド・ゴール空港に向かっていた。トルコを経由してドバイに向かう計画を立て、仲間たちにも連携した。もちろん偽装パスポートも持っている。タクシーの中で男は髭を剃り、マスクもつけた。これでほとんど顔はわからなくなったと思い、ほっとした。

 しかし、男はほっとしたことで、忘れていたあることを思い出した。男は本当にトイレに行きたかったのだ。逃げることを優先して緊張のあまりすっかり忘れていたが、ほっとして思い出すとたまらなくトイレに行きたくなってきた。空港に行けばなんとかなると思いながらも脂汗が滴り落ちるのを感じた。「まだか、空港は」

 もう限界だと思っていた時、タクシーは空港についた。男はタクシー料金とチップを急いで支払い、アタッシュケースと共に空港のトイレに駆け込んだ。
 ぎりぎり間に合った。


下記への参加です。
出だしは「トイレに行きたい」、最後は「ギリギリ間に合った」で締めるという制約の小説です


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#たいらとショートショート #トイレに行きたい #ショートショート #創作

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