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【小説】 逃走 #01 ハイビーム

 今日も残業で遅くなってしまった。早く帰ろうと、駐車場まで急ぎ足で歩き、愛車シルビアのドアを開けた。ジャケットを後部座席に放り込んで、運転席に乗り込み、ドアを閉めると、疲れた目を労るようにしばらく目を閉じて上を向いていた。9月も終わりの頃であり、疲れた体にとって、車内は心地いい温度になっている。一人で落ち着ける空間だ。長袖のポロシャツでいるのがとても心地いい。おもむろにその日の課題点を反芻してみる。なぜ、だめだったのか。なぜ、繋がるべきデータが消えてしまったのか。いや、データが消えるはずはない。どこかに隠れているはずだ。しかし、データベースにもプロセスにも思い当たることがない。少なくとも今日はなんとかなると思っていたのに。。。


 タケシはシステム開発のエンジニアである。現在、チームで作り込んだシステムの最終テスト段階だ。チームリーダーであるタケシは、なんとしても問題なくスケジュール通りにテストを終了させたい。しかし、問題が連日発生。自分を責める日々が続いていた。

 健全な社員を育成する環境を支援するために、会社にいる時間は夜十時までとなっている。それ以降は照明もエアコンも消されて真っ暗になる。いやがおうにも夜十時までには退社しなければならない。しかしながら、テストはうまくいかないし、引っ掛かるところもある。もう少し残って追求したいが、屈強な守衛が見回りに来て追い出されてしまう。普段は電車通勤なのだが、帰る時間が遅くなりそうな時はシルビアで出勤し電車の心配をしないで済むようにしている。都内なら電車でも余裕で帰れる時間なのだが、ここは人里離れた場所の小高い丘の上に建てられた研究所だ。最寄り駅までは専用シャトルバスが運行しているが、満員のバスがタケシは好きではない。なので、時折、シルビアで通勤しているのだ。最近はほぼ毎日そんな状態が続いている。


 課題点を何度確認しても、やはり解決策には至らない。データが紛失する原因が思い当たらないのだ。仕方なくその日は帰ることにした。シルビアのイグニッション・キーを挿して回す。ヴオンという音とともに、心地よいエンジン音が響き渡る。この音を聞くとタケシはホッとする。駐車場の薄灯りの中でハロゲンのヘッドライトを点けハイビームにする。いつもの通勤路。問題なく帰れるだろうと考えていた。

 いつもの道は山越えの道で結構ワインディング・ロードでもある。そして、その日はタイミングが悪いことに側溝の工事がされていたので、車道の左側は工事中の溝のままの箇所があちこちにあった。途中にあるトンネルに向かって右カーブになっている道も工事中だった。ちょうどそのトンネルに差し掛かろうとした時、トンネルを抜けてきた対向車がこちらに向かってくる。こんな時間に珍しいなと思いながらも、少しその車に違和感を感じた。こちらからは右カーブのところである。直感的にこちらに向かってくるハイビームがやばいと感じた。左に寄せて止まるつもりが、側溝の工事中で左によることができない。仕方ないなと思い、その場所で停車した。

 そのまま通り過ぎるだろうと思っていた対向車は、そのハイビームをこちらに向けたまま真っ直ぐにやってきた。ハンドルを切って曲がろうとはしているみたいだが、スピードが出過ぎている。タケシの車はすでに停車しているので逃げようがない。ジッとハイビームの行方を見ていると、なんということか曲がりきれなくなって、そのままこちらに向かってきた。タケシが「うわっ」と思わず声を上げた瞬間、ドンという鈍い音。運転席の窓ガラスは粉々に割れ、まるでシャワーの水のようにタケシの体に降り注いだ。対向車はそのまま突っ込んできて運転席のドアに鋭角にぶつかったのだ。カーブだったので直角に衝突することは避けられたものの衝撃は強かった。危うく側溝に車輪が落ちてしまうところだった。

 タケシは、瞬間的に右側のバックミラーを確認した。今ぶつかった車の赤いテールランプが遠ざかっていくのが見える。「まずい」何としても今抑えておかないと泣き寝入りになると思い、運転席の窓ガラスの破片シャワーを浴びたままで、Uターンして追跡を開始した。

 Uターンした瞬間にぶつかった車は視界から消えていた。しかし、今タケシが走ってきたその道は一本道だ。迷わずアクセルを踏んだ。3Km程度走った挙句、タケシはぶつかってきた車に追いつき、すかさず追い越した。追い越し様にその車の右側のウィンカーが壊れているのが確認できた。「間違いない。この車だ」そして、その車の前でブレーキを3回軽く踏みテールランプを点滅させ、ハンドルを左に切ると同時にサイドブレーキを引き、華麗なスピンをして道路を塞ぐように停車した。その車は進路を遮られ仕方なく停車した。しかし運転手が出てこない。

 タケシは自分の車を降り、一歩ずつ、そして確実に、シルビアにぶつかってきた憎き車に向かって歩いていく。正面を避けて近づき、ハイビームのまま止まっていたその車の眩しさから逃れると車種がわかった。ベンツだ。一瞬タケシの脳裏に「もしかしたら、やばいのか」という思いがよぎった。しかし、もう引き返せない。大切なシルビアのドアは凹み、窓ガラスは粉々になっているのだ。何としても元に戻させてやらなければシルビアが可哀想である。

 ベンツの前方右のウインカーが壊れているのを再確認しながら右サイドに回りこみ、サイドの窓ガラスをノックする。返事がない。もう一度ノックする。やはり返事がない。覗き込んで見る。

「誰も乗っていない。そんなバカな」

< 続く >

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エンジニアのタケシはとんでもない経験をする。担当しているシステム開発がうまく行ってない時なのにアクシデントに見舞われ、対応していくのだが。…

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