見出し画像

【SS】心の壁の中

 誰しも心に壁を持っている。私は、そんな心の壁の内側にいて宿主の心を喰んで生きている。いや、正確にいえば物理的な体は持っていないから、生きているとはいえないかもしれない。

 私の宿主は、人間の区分けでいえば「女性」らしいのだが、心の中では、複数の人格が戦っている。もちろん、その中には男性もいるし、子供もいる。なんとも厄介な心だが、それだけに食べがいがある。全て食べてしまうのは危険なので、加減して食べている。私はそんな日々の生活にとても満足している。

 私の宿主は証券会社に勤めていて、年金で生活しているお年寄りを相手に投資相談のコンサルティングをしている。毎日多くのお年寄りが窓口に訪ねてくる。昼食を摂るのも忘れてお客様の相手をしている。そして、そんな人に対し話をして、なけなしの貯金を投資させている。毎日毎日、あきもせずご苦労なことだ。そんな時間は心の変化がないから私はほとんど寝ている。ただ、時々、為替の状況が変わったり、株価が下がったりするとお客様のお年寄りは、血相を変えて怒鳴っている時がある。そんな時は、私は目が覚める。心が揺れ動くからだ。ただそんな時宿主は、大抵の場合、謝罪というより相手を落ち着かせるための話をして事なきを得ようとしている。

「為替も株価も一時の数字の変化に動揺してはいけません。短期的にみるのではなく長期的視点に立ちましょう」しかし、お客様は言葉を返す。
「私には時間はそんなにないのだよ。今、使えるお金を増やさなければ」
「そんなことをおっしゃらないでください。私はもっともっと長く、お客様とこうしてお話をしていきたいのです。長生きをしましょう」
「まぁ、そうだな。わしもこうしてあんたと話をするのは楽しみだからのぅ。ちょっと細かいことで怒ってしまって悪かったのぅ」
「とんでもございません。お客様の大切な資産ですから、当然だと思います」

 私の宿主は話術にも長けている。うまく切り抜けたようだ。しかし、心の中は嘘はつけない。激しく動揺している。ただ、それを悟られないように厚い壁を作って防御している。結果、穏やかな顔をして接客を続けている。こんな時間を続けていれば、心は大変なことになるはずだ。私としては嬉しい限りである。なぜなら、美味しい食事の時間となるからだ。

 仕事が終わると、時折宿主は一人でバーに行く。会社からちょっと遠回りをして駅に行く途中に馴染みのバーがあるのだ。ここは、会社の人間がこない隠れ家的な場所である。このバーのマスターは、全てを承知しているかのように、カウンターの椅子を一つ必ず空けておいてくれている。なかなかいい雰囲気の二人だと思うのだが、宿主にはそんな気がないらしい。

「マスター、いつものをお願い。今日は気を使ったから飲みたいのよ」
「わかりました。どうぞ、いつものスコッチのストレートです。チェイサーも飲んでくださいね。アルコールだけを体に入れるのは良くないですよ」
「いつも同じことを言うのね。耳にタコができちゃったわ。ナッツとひまわりの種も頂戴」
「かしこまりました。どうぞ、これは私からのサービスです」

 と言って、ナッツと共に、レモンの輪切りが出てきた。レモンの酸味がアルコールに負けそうになる体をちょっとだけ助けてくれるのだ。宿主は、スコッチを5ショットほど飲み干して帰ることにした。まだ、来店してから一時間くらいしか経っていない。どうやら、市場の動向が気になって仕方ないようだった。心が昂っている。今日の私の夕食もご馳走になりそうな予感がしてきた。

 宿主は、今日もろくに食事を取らないまま帰宅した。一人暮らしである。宿主は、帰ってくるとまず音楽をかける。それも、心を落ち着かせるヒーリングだ。私はこれが嫌いだ。昂った心が落ち着いてしまうではないか。しかし、今夜の宿主はこの程度では心の昂りは収まらないようだ。よかった。

 「このままではまずいわね。私がオファーした銘柄は確実に下落していくわ。ヘタをすると他社に買収されてしまうかもしれない。私がお客様を勧誘した時の期待値には程遠い結果になってしまうかもしれない。何か代替手段はないかしら」

 宿主は、対象となる会社の業績の確認、アメリカの市場の動向の確認などをしていたが、起死回生の手段は見つからなかったようだ。どうやら今日のところは諦めて、シャワーを浴びて寝るようだ。しかし、もし顧客を失うことになれば、このお台場のマンションにも住んでいられなくなるかもしれない。もう少しでニューヨーク支店への転勤も視野に入っていたと言うのに。面白くなってきた。

 翌日、ニューヨーク市場が暴落した。宿主が投資を推奨していた銘柄が軒並み下落、このままではリカバリーは困難な状況が避けられない。アメリカはすでにインフレの状況に入ってしまった。宿主のお客様であるお年寄りたちは老後の資金を投資に注ぎ込んでいたので生活が困窮する。もちろん、それを知っていて投資させたのは宿主に他ならなかった。

 数日後、全ての終わりを告げる心の壁の内側のサイレンがなった。お客様の何人かが、遺書を残して自殺したのだ。その遺書には、「投資の話を真に受けたのが愚かでした。もう生きていく術がありません。疲れました」と書いてあった。宿主の心は、大太鼓を叩くような激しい動揺に陥っていた。まずい。このままだと心が壊れる。そうなると私も生きていられない。仕方がない、宿主の動揺の心を全て食べてしまおう。私は、超えてはならない一線を越え、宿主の心を全て喰んでしまった。そして私は我に帰るのと同時に消滅した。

 宿主は、心が空っぽとなり、純真無垢の少女に戻った。

#小説 #ショートショート #寄生 #創作 #眠れない夜に


この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いします。皆さんに提供できるものは「経験」と「創造」のみですが、小説やエッセイにしてあなたにお届けしたいと思っています。