続・星野源の「Cube」を聴いた。~映画「CUBE 一度入ったら最後」~

 おじゃまたくしです。三角チョコパイを上手に食べる方法教えてください。来年生かします。

 日曜日に行くライブのために何とか卒業論文の第2稿の作業を終わらせて、今日は映画館に行った。お目当ての映画はまさに今日、日本で公開の「CUBE 一度入ったら最後」。監督・清水康彦、主演・菅田将暉、脚本・徳尾浩司、主題歌・星野源。原案は1977年公開のヴィンチェンゾ・ナタリ監督による「CUBE」(カナダ)。そう、これはカナダ版「CUBE」のリメイク作品である。

 https://note.com/ongakulover/n/n6fdbc108e4cd


 前回、星野源の「Cube」をちゃんと理解したくてカナダ版をネットフリックスで観た。リンクは曲の感想記事である。だからこのリメイクはまっさらな気持ちではなく自分の中にカナダ版がある状態で観に行ったので、どこかで「オリジナルには届くまい」という気持ちがほんの少しだけあった。原作本のある映画で心から面白かった映画にあまりであったことが無いので(大体キャストのイメージが違うとか、原作にはない追加された話がつまんないとか)今回もまあそんなもんだろと思ってしまっていたのだ。最悪主題歌の世界観と映画の世界観がかけ離れて無ければ良し、くらいのマインド。だって主題歌の「Cube」が絶望を歌っているしオリジナルも絶望の連続なのにリメイク版でハッピーエンド、じゃ幻滅だ。そう思いながら映画を観た。

 内容を書くのはネタバレにならない様に書くのを差し控えるが、ネタバレにならない程度に何点か感想をあげるとすれば、                               ・思ったよりも何倍も怖くて心臓がどきどきした                           ・キャスト全員のキャラクターが絶妙。「この人はこの役じゃなくない?もっといい人いるじゃん?」的なのが無い。                           ・リメイク版オリジナルのトラップが絶望感に拍車をかけていて良い……                 だろうか。観る前に私の隅っこにあった気持ちはエンディングを迎えるころ、いや映画の中盤でもう消え去っていた。

 リメイク版を踏まえて改めて主題歌である星野源の「Cube」を聴いた。観たうえで改めて聴いてみると、オリジナル版へのリスペクト、リメイク版そのものへのリスペクト、登場人物たちが感じた絶望、この世の中を生きていくことへの絶望……救いがない。少しも。

ほら見ろ 扉が開くようだ                                    光に包まれて 出るとどうだ                                                箱がただ 球になっただけだ

 これは大サビの歌詞なのだが、甲斐麻子(杏)と宇野千陽(田代輝)のシーンを観たとき真っ先にこの歌詞を思い浮かべた。観る前はたいして気に留めていなかったのだが、この歌詞は大サビでしかありえないなと今は思う。

 その箱の中は絶望だ。たとえ外に出たとしても絶望は続いていく。しかしその絶望は箱の中の絶望とは違う種類のものではないだろうか。そう考えたら楽曲のラストのサビで歌われる

運命の河流れ いま抗え                                                気付かず生き惚けた                                              過去をみな 紡ぎ縄に変えて                                      出口に繋ぐまで                                          一生の切なさを 笑いながら                                      踊らせろ                                             悲しみに座り くつろげるまで                                      僕らいつも果てなきこの愚かさの中

という歌詞がよりしっかりとした重さを持って私たちに届く気がする。

知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。