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アサナってなんだったけ〜?達人の境地

去年の11月に知り合ったアメリカ人の禅マスターに
「とりあえず毎日25分座って3ヶ月数息観(息の出入りをひたすら数え続ける瞑想法)を続けてごらん」と言われ、手帳に座った日にマークをつけてきた。

(白状しますが毎日は座ってません。日常には色んなことが起きる。疲れて寝坊したい日もある。。。今はアメリカに戻っているマスターに先日「犬が死にそうで一刻でも一緒に犬と居たいので座ってません」と白状したら「それは全ての言い訳に値する。犬と一緒に居てあげなさい」と言われた)

ヨガのプラクティスも同じことなのだけど、とりあえず何をするよりも先にマットに行く、座る、ということが重要である。朝起きたらとりあえずマットに行く、そして座る、である。(とは言え私はトイレに行って舌洗浄して水飲みながらコーヒー淹れて。。。それからマット行きますが笑)

今朝またいつものように座ってみてからハッと気が付いた。
3ヶ月過ぎてるやん笑。

「3ヶ月続けてごらん、そうしたら何かが分かるから」
確かにそう禅マスターは仰った。それなのにあろうことか私は3ヶ月過ぎてることにも気が付かず、悟るタイミングを逃してしまったのかも知れない!

いやそうではない。
3ヶ月続けて分かったこととは・・・それは何も変わらないということだ。

つまり3ヶ月続けたら何処か違う次元に到達し、驚くべき変化が自分に顕れる!のではない。いつもと同じ私だし、座っても相変わらず頭の中をぐるぐると邪念やドロドロの感情が渦巻く。

では3ヶ月続けていたら何が起きたかと言うと、ある時から「座ること」そのものが目的になり、何処かに到達したり何者かになったり悟りを得たりといった目的なんてすっかり忘れて、毎日ただひたすら座っていた、ということである。

なぜか?
なぜなら「座る」ことがとんでもなく面白いから。
今日の「座る」経験が楽しすぎて気持ち良すぎて、それだけで満足してしまうから。

ヨガのポーズもそうである。このようなカッコいいポーズをキメるようになりたいと目標を定めて始めたものの、プラクティスを重ねるうちに、ただ今日淡々といつものようにプラクティスをする、今日の身体がどんな風に動くのか、どんな呼吸をするのか、だけが焦点となる。

昨日のことも忘れるし、目標なんてもっと思い出せない。
当初の目標のポーズなんてもうどうでもいいから、今日気持ちよく、今日を健やかに、今日を平和に、がいつの間にか目的になってしまうのである。

「アサナ(ヨガ用語でポーズのことです。辛うじてヨガ用語覚えてた笑)って何だったけー???」となったらこれぞヨガのゴール。

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