見出し画像

ジブン株式会社設立趣意書の前の、自分の今までを書いてみた。

木下斉さんのvoicyより、ジブン株式会社の設立趣意書を作成しました。

なぜジブン株式会社の設立趣意書を作るのか?

人生後半戦に入り、後半は自分の軸をもち、自分で選択したと言える道を歩みたい、と思ったからです。

私のこれまで。

まずは、自分の今までを振り返ってみます。

昭和52年、札幌市に生まれる。決して裕福な家ではなかったが、父は夏は海、秋は登山、冬はスキーに家族を連れて行ってくれ、健康に頑丈に育つ。中学は陸上部で地獄の練習を耐え抜き、地元の希望の大学に入学。映画研究会に所属し、大学4年間は150本近い映画に触れ、映画から学びを得た。卒論のテーマは高齢者によるボランティア活動の意義と課題点。〆切ギリギリまでなかなか結論を書けず、5㎏ほど痩せ何とか提出。

第一希望のA外食チェーン会社に入社する。新入社員時は、人付き合いもオペレーションもとにかく不器用で習得に苦労した。しかし店長になりたいと強く公言をしていた為か2店目で店長になる。しかし店長のイロハが全くわかっておらず店舗の運営が立ち行かなくなり、他店の店長と社員のヘルプを受けお店を立て直しには約半年がかかった。この頃の経験は一番苦い経験となる。
その後、札幌の24時間営業の基幹チェーン店舗に異動→3店舗を経験後、新店の店長を任される。そこは会社初の唯一の画廊喫茶で、アルバイトさんも少人数、飲食の要素よりも展示の工夫や作家さんとの交流の繋がりが多く、地元に密着した自分らしいお店をつくることが出来た。この店舗の3年半は、自分の成功体験となり、大店舗の運営より、小規模店舗の運営が自分に向いていることを知る。
その後、元の事業部の店舗に戻り一般職として5回の移動。店舗経営よりも、店舗で福祉や環境の取り組みを展開する仕事を任され実践したことが自信であり、やりがいを感じた。その後、現在の会社が運営するテーマパークの飲食部門所属となる。

会社員25年目となり、昨年から木下斉さんのvoicyのリスナーとなったことで、自分の人生を見つめ直すきっかけとなりました。このまま、店舗で働くことは、持ち前の身体と精神のタフさを活かせても、何か専門性を身に付けたい。もっと自分を活かせる環境があるはず、とこの年になり強く感じる様になりました。

設立趣意書にまとまるまで、まずは今までを吐き出す作業として、振り返りをしました。次に趣意書、人生の目的にまとめたいと思います。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?