見出し画像

ドラマの始まりはいつも何気ない

これは2016年3月、だんだん暖かくなってきたなと感じていた頃の話。
ふとしたきっかけから私の会社員時代を思い出し、ついつい干渉に浸ってしまった時の話です。


ワンナップ恵比寿校に新しい武器が導入されました!
ソニーの本格一眼レフカメラです。

カメラがきた経緯ですが、なんとソニーデジカメ事業部のマーケティングの課長をしているT氏からの寄贈です。

T氏は来る4月1日のフライトでインドへ発ち、現地に赴任します。
最低でも3年は戻って来ないと思われます。
その間、愛用していたカメラをワンナップで使用してくださいと言う事で突然来校して、置いていってくれました。

「あげるのではなく貸しね」

「貸し」と言われたのはすなわち、
「取りに来るのでまた会おう」というメッセージと解されます。

T氏は私の前職(アイワ)時代の先輩であり、
新人の時から仕事のいろはを教わった方です。

「仕事は正確に、速く(早く)、美しく」

という言葉を教えてもらったのもT氏からです。
(本人は覚えていないと嘘ぶいていますが)

T氏はコミュニケーション能力に長け、誰からも好かれるその仕事スタイルを持っており、私が若い時に目標にしていました。

本人は理系出身ながら就職活動の際、最終面接で突然、「文系採用してください!」と言って文系に移った経歴の持ち主です。
そして独学でアクセスを習得し、入社1年目から部署内における様々な業務をシステム化していきました。

私が入社した時、既にT氏は本社総合企画室へ大抜擢され、役員直下のエリート部隊で活躍していました。

私が着任した部署(生産管理)では、T氏が残したシステム(アクセスで作成)を使って毎日業務をしていました。

そのアクセスを使って必要なデータをエクセルに吐き出そうとすると必ず「Tさんを尊敬していますか?」というメッセージが出てきて、「はい」を押さないと延々と「Tさんを尊敬していますか?」が出続けるという無茶苦茶(お茶目?)なことをしていました(笑)

T氏は入社時から私に目を掛けてくれ、インスパイアしてくれました。

そして数年後、私も生産管理部から商品企画部へ異動となりました。

当時、アイワでは各部署の優秀な人材を商品企画に集めるという動きがあり、海外の販社・人事・広報・国営・海営・生管などからエースがどんどん異動してきました。
そして満を持して最後に役員のエースである、総合企画室室長が商品企画部部門長に就任。
これを持って全社をあげて、会社を立て直すという動きとなりました。

当時、あのソニーのウォークマンを開発した大曾根会長(ソニー元副社長)のつるの一声で宇都宮と浦和の拠点を撤退し、新たに神田神保町にビルを一棟借りて全ての部署を東京に集結。
商品企画を中心とした一点突破体制が確立されました。

当時の神田のビルの入口には「WE ARE CHANGING」という看板を設置され、全社一丸となった生き残りを掛けた戦いが始まりました。

私は商品企画を強化する一環の第一弾として異動させてもらい、ラジカセ商品やCDプレーヤーなどの企画を手掛けていた頃、T氏がついに商品企画に異動。カーオーディオを担当する事となりました。

これで私は初めてT氏と机を近くして勤務を経験する事になります。
仕事では毎日の様に語り合い、切磋琢磨してきました。
(良く飲みました)

そのT氏が先日、わざわざ赴任前の忙しい中、恵比寿校に来てくれ、愛用の一眼レフを置いて、「貸しね」と言ってすぐに帰られました。
ホームページの写真の強化をしていきたいと考えていて私にとっては、大変嬉しい出来事です。


仕事を一生懸命やっていると自ずとドラマが作られていく気がしてなりません。

思えば社会人1年目、宇都宮の工場跡地のオフィス(というかプレハブ)にバスに揺られて毎日出勤。出社すると派遣のおばさんが「出社途中で車のタイヤが畑に落っこちたので遅刻します」などという事も普通に起こる田舎町でのキャリアのスタート。

生産管理の仕事は好きではない!と愚痴を言い、最低にくすぶっている中で「でも頑張らなきゃ」とテレビを捨て、本を買い、新聞を読んで(読めないのに)毎日過ごしていました。

今思えば、ドラマの始まりというのはそんなものかもしれないと思います。

方向性がわからなくても「マイッタ」しなければ活路は見いだせると感じています。

あの時仕事を教えてくれたT氏と今では友情を持って接する事が出来、お互いの人生の曲がり角ではインスパイアし合おうと約束をしています。


・・・・。

ということで、「恵比寿に良いカメラきたよ!」


海渡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?