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教科書の使い方。

またまたご無沙汰ですみません。笑
意外とマイペースなものでして。恐らくこれからもマイペースに書いていくと思います。笑

ただ、私の性格上「書きたい!伝えたい!」って思って書き始めたnote.は伝えたい欲が最上級の時です。頭フル回転で考えや感情をうまく言語化できるゾーンに入ってる時です。きっとそのタイミングの方がいいものが書けるんでこれからも気分で書かせてもらいますね!(自己解決。笑)

今回は「教科書」について書いてみました。

●教科書サッカーと呼ばれた中高時代

ご存知の方もいるかと思いますが、私は中学1年生から高校3年生までの6年間JFAアカデミー福島(以下、アカデミー)に所属していました。アカデミーでのサッカー教育は「個の育成」と呼ばれるものでした。
 育成年代の指導者の葛藤によくある「勝ちを選ぶか価値を選ぶか」の比率で言えば確実に「価値」の高さが求められる組織だったと思います。

アカデミーでは必ずと言っていいほどパス&コントロールとポゼッションのトレーニングが組み込まれていました。盛っているとかではなく壁打ちだけで30分なんてざらにあったと思います。とにかく動きながら止めて蹴るの質の向上、状況判断能力観る能力と言った個の技術・能力の向上に努めていました。

ただ、当時のアカデミーではとにかく正確性や質の高さを求められていたため足の裏やアウトサイドパス、ヒールを使ってミスをすると叱咤されましたし、浮き球を多様することも懸念されました。(※あくまで私たちがいた時は、です。笑)

そんな私たちは対戦相手から
「教科書サッカー」と言われていました。

●”個の能力”と”個性”

当時の私たちは「個の育成」とは?と疑問を持つことももちろんありました。

個の育成って言ってるくせに…とか、
なぜダメなの?とか、
もっと個性を大事にしたい、
などと思っていた選手も少なくないと思います。
でも今ならわかる気がします。

”個の能力”の育成と“個性”の育成は違う

と。

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お気づきですかね、

”個性”を最大限に活かすためには
”個の能力”が絶対条件

なんです。

0がなければ1にならない。
アカデミーは1や2の"素質"を
持っている選手の集まりだからこそ、

”1”を成立させるための”0”の能力を
教えてくれていたんです。

いわゆる何にでも応用可能な
”個の能力”
そこから生まれるのがさらにランクアップした
”個性”
ってわけです。

アカデミーのフィロソフィーには色々と詰め込まれてますね、ほんとに。
常にどんな時でも、日本でも海外でも、さらに言えば誰にでも通用する能力
それって、サッカーだけでなく全ての面において
持っているようで持っていない人が多い”0”の能力なんです。

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●教科書の必要性

「何にでも応用可能な”個の能力”」
言語化してみると教科書サッカーっていうのもあながち間違いではないですね。笑
今となってはアカデミーの個の育成の徹底具合には脱帽ですし感謝でいっぱいです。


皆さん、掛け算するときの頭の中を想像してみてください。
小学校の教科書に載っているように、りんごの数を増やして数えていますか?
恐らくそんな人なかなかいませんよね。笑
でも初めて習った時は教科書にあるそのやり方が正解だと信じてやっていたでしょ?

学校で使われる「教科書」も “0” の部分であり、
基本的で一般的な方法論のひとつです。
でも全てのスタートはそこなんです。

その「教科書」を基準や原点にして時が経つにつれて
頭の中で有効的な”自己流”の計算方法を作っていると思いませんか?
それらは教科書の方法がある上で、
・有効的なやり方を自分なりに作る
・自分の得意な方法を模索して作り出す
・そしてそれを自分だけのものにする

そうやって生まれるのが”個性”ってやつなんじゃないかと。

例えば、
世界的なデザイナーが作る服を想像してみてください。
一般人に全てを理解はできないけど、それでも美しさやカッコよさと共に個性がすごいのはひと目でわかりますよね。
でも、そのデザイナーさんたちが配色やバランスの基本を知らないわけがないんです。

教科書を基準にして作ることもあれば、
時には教科書を知っておきながらも
その当たり前という思考を利用して裏切ることで
最大限に個性を発揮できている

と思いませんか?

教科書的な方法や正解の導き方を
理解しているからこそ、
新しい何か(個性)が生まれて
その“個性”がもっと輝かしいものになる

"つまらない"からといって教科書を学ぶステップを端折るのは違う。

個性を活かすためには
”芽を生やすための土壌”が必要

なんです、きっと。

●教科書の使い方

しかしサッカーでも人間育成の上でも正解なんてないから教科書の使い方は人それぞれです。
だから教科書の使い方を間違えて欲しくない

中高時代、教科書サッカーと言われ、
個性が無いだの何だの言われてましたがこれは確かに間違ってない。何故ならあの時の私はそれが正解だと思って教科書通りやってたから!笑
つまり一番つまらない場所で滞ってたわけです。笑
けど、アカデミーを卒校してさらに追求することで個性が生まれた。(私の場合は1や2を作るというより0を追求しました)でもその個性はアカデミーで培った個の能力の賜物です。
(もっと早くに教科書の使い方に気づきたかった…笑)

「教科書 × 自己流=強い個性」
この理論に方程式を作るとしたらこうなるんですかね。

「自己流<教科書×自己流」
式にしてみるとわかりやすいね。笑
自己流だけを追求するよりも
土台がある上で個性を掛け合わせた方が
結果は大きくなるってことです。
教科書も備えておけばもし分からなくなったとき
いったん原点に戻れますしね!

教える立場になった今、
「教科書は正解ではなくてあくまで参考書」
っていうくらいな感じのスタンスでやってます。
でも、「これってあなたが得意なプレーを発揮するためにすごく大事なことなんだよ」とは納得させます。「そこにあなたの色をのせてね?」って感じで。
その伝え方やバランスが楽しいよね。
だんだんと指導者としての自分色も見えてきて楽しい毎日です。

昔からずっと自分の中でも曖昧だった

”個の育成”と”個性の育成”

が腑に落ちて個人的にスッキリしたので共有してみました。
うまく言語化できてるか分かりませんが少しでも伝わったら面白いかと。

きっと言葉選びや伝え方が不器用な方もいます。
スポーツに限らず日常の中でも「〇〇するな!」「こうしろ!」と言われて自分を押し殺されている気がして楽しさを失いそうになる人は沢山いると思う。
けど、全て否定的になったりせずに
「その考え方も参考にしてみようかな!」
って受け入れてみてください。
それを自己流にアレンジしちゃえば誰も持ってないあなただけのものになるはずだから。
否定的な言葉やつまらないと感じるものも、納得できなかったものも、それらの裏側にはこんな想いがあるのかも!とポジティブに自己流に変換してみてください。そしたらもっと自分の個性を磨けると思うし、少しは楽しく感じてくるかもしれないですよ^^

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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