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「三日坊主」をどう捉えるか。これが新しい教育観になる💪

こんばんは、oneです。今日のテーマは「三日坊主をどう捉えるか。」です。まずは三日坊主をセオリー通りに捉えてみましょう。

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「物事が長く続かないさま。」ですよね。教育のものさしで捉えれば、マイナスイメージ。周りを眺めてみれば、いかにして三日坊主を避けさせるか、に議論がいくはずです。確かに。

さぁここからが今日のお話です。確かに、以前の日本社会を考えると、一つのことに信念と執着を持って継続し続けることが美徳であり、その熟達が職業としても、自分と周りを助けるものになっていたと思います。途中で何かを放棄したり、諦めたりすることを「悪」と捉える日本人の気質が関係していたのではないでしょうか。「今、社会に必要とされるのはスペシャリストか、ゼネラリストか」。まさに、以前の日本は、ある事象におけるスペシャリストになることが誇りではなかったかと。しかし…

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現在の社会を考えてみると、スペシャリストであることも求められますが、ゼネラリストの存在が極めて重要であると。例えば教師だと、生徒指導に特に力を発揮するだけの人よりも、学級経営も、教科も、保護者対応もすべてに人並み以上のスキルを持っていることが求められる時代になっている。言い換えれば、ゼネラリストがたくさん育成される過程の中で、いくつスペシャリストになれるか、が大事な時代になったと言えるだろう。

では、本題に戻ろう。三日坊主が「悪」であるのか。NOではないだろうか。学習者の立場で考えれば、例え数日だったとしても興味が出た事柄に没頭し、経験とスキルを身につける。次に興味が出たものに…。これを繰り返すことができれば、広範囲にわたる知識や技術、スキルの保有のきっかけになるはずである。指導者の立場で考えれば、よりたくさんの事象との出会いを誘発させ、広範囲にわたる経験をさせる。その中で、広範囲にわたる知識や技術、スキルを少しでも習得させ、スペシャリストになれるきっかけを探させていく。

我々教師がこの「三日坊主」をどう捉えるか、が今の時代を乗り越える新しい教育観になるのではないだろうか。三日坊主は決して「悪」ではなく、三日坊主をいかにたくさん作りだせるか。そして、その中からスペシャリストをどのように生み出すか。「三日坊主」の捉え方の変換が必要ではないでしょうか?皆さん、いかがでしょうか(^^)?

ありがとうございます。