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〈暴露〉高田悦子の素顔

悦子のほっとカフェ
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※試聴版。オリジナル版(17:37)はメンバー特典記事が追加されているプランに加入すると視聴可能。

こんにちは、国際コーチング振興協会の髙田悦子です。
今日は「悦子のホットカフェ」にようこそ!
この動画では、私の自己紹介を兼ねて、私の本音を皆さんとシェアしていきます。
YouTubeではなかなか話せないことも、
ここでは素直にお話ししますので、どうぞリラックスしてご覧ください。



今回は、初めて「悦子のホットカフェ」に登録してくれた皆さんに向けて、
私のバックグラウンドやこれまでの経験、
そして私がなぜコーチングに情熱を持っているのかをお伝えします。
YouTubeで私を知って、もっと深く知りたい、
近づきたいと思ってくれている皆さんに向けて、私の素顔をお届けします。



まず、私高田悦子が何者なのかについてご説明します。
私は一般社団法人国際コーチング振興協会(ICPS)を創設し、現在代表理事を務めています。
29歳で初めての企業を立ち上げ、建設関連と貿易関連の会社を経営していました。
その後、国家資格のキャリアコンサルタントを取得し、大学のキャリアセンターで学生の進路相談を行っていました。
さらに、外国語教室を開設し、経営していました。

その後、それぞれの会社を譲渡や売却し、現在はコーチングの普及活動を行うために国際コーチング振興協会を創設しました。

ここではカウンセリングやコーチングの資格を認定・発行し、コーチの育成やコーチングセッションを行っています。

書籍『人生の羅針盤 ワンルール』の出版やYouTubeでの発信活動、
外部講師としてのコーチング技術の指導も行っています。

しかし、これだけのキャリアを聞くと、能力の高い実力派に思われるかもしれませんが、
私の過去は壮絶、悲惨と言えるものでした。
幼少期から虐待を受け、親子関係や夫婦関係に悩み、うつ病や多額の借金に苦しみました。

結婚は2回とも離婚し、うつ病の最中に2億数千万円の負債を抱え、3人の子供を育てながら借金返済に追われる日々を過ごしました。

うつ病の12年間、多くの心理療法を試しましたが、効果がなく、絶望的な状態が続きました。
借金と心の傷、親との関係に苦しみながらも、私は生き続けました。

ある日、100均で小さな木を買って育て始めました。
その時、まだ自分の中に愛が残っていると気づきました。
子供たちを愛し、弱い立場の人を助けたいという気持ちがあることに気づき、少しずつ自分を肯定できるようになりました。

次に、私がどのようにして再生したのかをお話しします。

20年ほど前、私は2億4千万円の負債を抱えていました。

当時の私にとっては途方もない金額で、毎月500万円の返済に追われていました。
土下座してお願いすることも何度もあり、眠れない日々が続きました。

これだけがうつ病の原因ではありませんが、12年間、うつ病に苦しみました。
医者から処方された精神薬がなければ生きていけない状態が続き、
パニック障害や双極性障害、人格障害、発達障害と様々な診断を受けました。

当時は今より20キロ以上太っていて、体調も悪く、視覚や聴覚にも異常がありました。
10年以上前に薬をやめましたが、その時も禁断症状が大変でした。

私は毒親育ちの動画もたくさん出していますが、自分がどんな育ちだったかはあまり詳しく話していません。

結婚もしましたが、2回離婚しました。
子供が3人いましたが、うつ病の最中に離婚し、子供たちとは生き別れになりました。

当時、宗教団体にも所属していて、多くの献金詐欺にも遭いました。

うつ病の7年目ぐらいに離婚し、子供たちとも音信不通になりました。
家で一人でいると子供がいるような気がして、冷蔵庫や洗濯機の中に子供がいるんじゃないかと探し回りました。

今では笑い話ですが、外で同じぐらいの年齢の子供を見ると自分の子供だと思い込み、走って顔を見に行ったりしました。
何年も子供を探し続けました。

そんな私に優秀な弁護士さんが親権の裁判を手伝ってくださり、3年かけて親権を取り戻すことができました。

うつ病の前後に多くの友人や親戚とも疎遠になり、一人で頑張るしかありませんでした。
その頃、私には生命保険がたくさんかけられていて、私が事故死すれば多額の保険金を親と夫が受取るように契約されていました。

そんなうつ病時代が12年も続きました。



私の両親についてはほとんど話してきませんでした。
父は他界しましたが、母が存命ですので、何かに影響したくなかったので、話しませんでした。
ですが、皆様の参考になると思いますので、
また度々質問されますので、この悦子のホットカフェの中だけで少しだけでも話そうと思います。

幼少期から母は父から日常的な暴力暴言を受けており母はしょっ中怪我をしていました。
祖母もいましたが、誰も母を助けませんでした。

私が母の異常さに気づいたのは、

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