昔の人

最近自分の魅力について考える。
自分で決めるというより、他人からどう見えるかということに依存しているな、などと。

ふと昔のことを思い出した。

高校2年生の頃、きっかけやどこで出会ったかすら覚えてないが、私には週に一度ほど会っていた男性がいた。
確か私の5つ上くらいで専門を卒業して銀座のとあるフレンチレストランでシェフをしている人だった。
私が彼と会うのは仕込みが終わった後の休憩時間で、そのせいで会う場所は決まって銀座だった。
微々たるお小遣いでやりくりしたいた私に色々なものを食べさせてくれた。
人に奢ってもらうことにとても嫌悪感があり、最初は紅茶などから始まった記憶がある。

学校の人たちを見下しがちだった頃の私にとって、そんな彼と4時という不思議な時間に美味しいものを食べたり、日比谷公園を散歩しながらお互いのことや夢について話す時間は夢のようであっという間だった。
上京するときに地元に置いてきた元カノにフルコースのクリスマスディナーを振る舞ったことを幾度となく話してくれた。

会っていた時期は冬から春にかけてで、記憶の中の彼はいつも質の良さそうな、同年代の男の子たちのものとは似ても似つかぬコートやスーツを着ていた。
そんな彼の夢は将来フランスで店を持ちたいという夢があり、手始めに向こうのお店で働くことを夢見ていた。

そんな彼にある日いきなりホストを始めたと告げられた。
その留学資金を貯めるために今働いているお店の終業後働くことにしたらしい。
すでに多忙そうだったので私はかなり心配したのを覚えている。

そうして、彼のそれまででも十分明治時代の富豪みたいだった服装がもっと煌びやかになり、反対にくまは濃くなっていた。
それでも愚痴は一切聞くことはなく、初めて見たシャンパンタワーの華やかさや先輩の羽振りの良さなどを話してくれた。

私はというと彼の将来のために稼いだお金でご飯を食べるのが嫌で一緒に食べるものは紅茶へと逆戻りしその代わりに散歩をする時間が増えた。

どんな話をしたか詳しくは覚えてない。
でも当時長く続く彼氏もいなく、閉鎖的な中高から外を渇望していた私にとって彼の存在はとても大きかったような気がする。
ふとした折に訪れる思春期特有の絶望に苛まれる私のそばに彼はいてくれた。

今になって思うと、22,3歳で夢を持ち続けることも、無駄なことを考えることを恥じないことも、私みたいなガキときちんと対話してくれたことも、現実を私に突きつけないでいてくれたことも全て奇跡みたいな人だった。

しかしそんな夢みたいな人だけに別れは急だった。
とあるLINEを残して音信不通になってしまったのだ。
どうやら私が私が他の男の子と遊ぶことに精を出していた間に彼はお金を目標金額まで貯めていたらしい。

結局私は彼の背中にあるという刺青を見ることなく疎遠になってしまった。

当時私には別に体を重ねるというわけでもなく、ケーキを放課後買ってきてくれる人やパーティーに連れて行ってくれる年上の男性の存在が複数あった。
彼氏は別にいた。

彼らにとって私の魅力とは何だったのだろうか。
制服を脱いで約2年ほど経った今、当時自分では気付けなかった女子高生から溢れ出るキラキラとしたあったかい空気を感じられるようになった。

私は女子高生だからという以前に自分だから、だと思い込んでいた。
ニートに近い大学生になった私は自信を持って言えるが、私自身に魅力などないしなかった。

女子高生のみが持つパワーを社会に還元する媒介が私だっただけ、
私のような経験を他の元女子高生も持っているような気がする。

私たちは逆に輝かしいであろう未来に夢見る材料を受け取っていた。

そんな人たちに今あったら何と言われるだろうか。
お前は用無しだ、とか 酷い言葉を投げつけてくるビジョンは全くない。

そんな人たちに感謝を伝えながら今の自分について、あの過去の上に成り立っていると胸を張って話せる人間になれたなら、
彼らもまた私を大人の仲間へと受け入れてくれる気がする。

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