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カブトムシ

キキキキ…キキキ…
ああ始まった。深夜その音が聞こえだすと、胸の奥がチリチリしてなんとも言えない憂鬱な気分がやってくる。

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子供達がまだ小さかった頃、近所の人が夏休みに田舎で沢山捕まえてきたからとカブトムシをくれた。空き箱に入ったオスとメスを一匹ずつ。
娘達がさほど興味を示さないので、断れば良かったと内心思いながら、蒟蒻畑みたいな容器に入ったカブトムシ用のエサとプラスチックのケースを買ってきてリビングの隅に置いた。
それまで昆虫を飼育したことも、積極的に飼いたいと思ったこともなかったので、私はカブトムシの、と言うか生き物全般の凄まじい生殖本能を目の当たりにしたことがなかった。
昼間は留守にしているので様子を見ることはないが、夜子供達が寝て家の中が静かになる頃、キキキキ…というカブトムシがケースの中で暴れる音が聞こえ始める。

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プラスチックを引っ掻くその不快な音は、オスが逃げようとするメスを追いかける音であり、コーナーに追い詰められたメスがもがく音だった。私がケースを覗くと、大概いつもオスがメスを追いかけているか交尾しているか無理やり交尾に漕ぎつけようと奮闘しているかのどれかだった。それは生き物としての自然な本能だと理解しながらも、何故だかその音を聞いているうちに私自身が何かに心を引っ掻かれるような、狭いケースの中でもがき続けているような息苦しさを覚えた。
ひと夏で死んでしまうカブトムシを、ケースを買い足してまで別居させるべきなのか。メスが必死で嫌がっているように見えるのも私の想像に過ぎないのに、何故私はこんなにもオスのカブトムシを憎らしく忌々しく感じるのか。虫にも感情があるのかは分からないが、私の感情は虫に揺さぶられっぱなしだ。

あの頃はもっと子供に手がかかっていて、今のように週末にぶらっと一人で出かけたりする機会も殆どなく、感じたことを言葉にして発信するこういう場所もなかった。今だからはっきり分かるが、仕事をしながらほぼワンオペで家事や育児をこなす生活に、メスとしてもの凄い理不尽と窮屈さを感じていた。ケースの中でもがくカブトムシに自分を重ねていたんだと思う。
狭い箱の中で、オスでもないメスでもない生き物みたいな顔で暮らしている私たちの方がやはり不自然なんだろうか。自分の自然がもはや分からない。分からないがもうこの摩擦音を聞いていたくない。林があったら今すぐ放しに行くのに。

早く死んでしまってほしい。

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皮肉な願いが届いたかのように、結局その数日後にメスが死に、さらにその数日後にオスが死んだ。
乾いた死骸は想像以上に無機質で軽く、これのどこにあれほどの繁殖への執着が詰まっていたのかと不思議な気持ちになった。心臓のない虫の命はどこに入っていてどうやって終わるのか。ちっとも悲しくはなかったが、命を生き切る凄みと虚しさのようなものを強烈に突きつけられた経験だった。私という容れ物に詰まった欲や毒は私が死んだらどこに行くんだろうか。出来れば誰にも見つからないうちにどこかに埋めてしまいたい。

もう二度とカブトムシは貰うまいと思いながら、家の敷地の隙間に土ごと捨てた。






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