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浮世フロー

長い小説が読めなくなる。重いテーマの映画がしんどくなる。好きな音楽を聴いても耳の外で鳴っているような遠さを感じて、そのくせ誰かの心ない言葉がいつまでも耳に残って気に障る。身体の中と表面に良からぬものが溜まった時、サインはそんな感じで表れる。
そんなパッとしない気分の夜、私は昔から銭湯に行って(その話は以前にも書いたので銭湯がお好きな方は是非)小さく仕切り直してきた。知らない人達の裸に紛れていると、何故だか色んなことが少しだけどうでも良くなるのだ。

さらにこの数年で覚えた、そんな時に抜群に効くスペシャルコースがある。

それはプロにやってもらうアカスリ。

新大久保と新宿の間くらいにあるその女性専用サウナは、土地柄もあってか韓国人とその他各国のお客がとても多く、サウナ内で小さく聞こえてくるお喋りも様々な言語が行き交う。館内放送もハングルとハングルっぽい発音の日本語の二本立てで流れる。その多国籍な雰囲気も私がいつも行くサウナ銭湯とは一味違っていて楽しい。

メインのサウナや施設全体の雰囲気が好きなのはもちろだが、ここに来たならやらずに帰るわけにいかないのが、韓国のベテランお母さん先生によるアカスリなのだ。これまでも他のスーパー銭湯で何度かやってもらったことはあるが、ここで受けるアカスリの気持ち良さと垢の採掘量は、私の中ではちょっと別格だ。

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先日もたまの平日休みをここで優雅に過ごそうと思い、普段会社に行くのとあまり変わらない時間に家を出た。いつもは満員電車に揺られながら通過する駅で途中下車する。もうそれだけで平日休みの醍醐味の2割くらいを味わったようなもんだ。開店前の静かな飲食店街を通り抜けた先、路地の奥に目指すサウナが見えてくる。

受付でアカスリの予約を済ませる。施術前に湯船でしっかり温まっておくよう言い渡される。時計を気にしながらサウナに入ったり風呂に浸かったりしていると、やがて時間きっかりに腕に付けたロッカーの番号が呼ばれる。呼びにきた先生がその日の私の担当だ。それがユニフォームなのか、彼女達はいつも大概黒いメッシュ素材のブラジャーとパンツ姿で全裸の客を迎えてくれる。

その日の先生はおそらく60代くらいのお母さんだった。

「まず、うちゅぶせね」と言って私を施術台へ促す。

割と高い。そして濡れていて滑る。そこに横たわる自分はまな板の鯉というかアザラシっぽい。

シャワーで軽く身体を流してもらい、先生がおもむろに私を削り始める。まずは背中、そこから肩と二の腕。

「アカスリ、初めて?」

「いえ、やったことあります」

「痛くナイネ?」「はい大丈夫です」

みたいな会話をしながら、腕を持ち上げられたり戻されたり脇を擦られたりしていると、

「ホラ見て…こんなに…」

と先生が大きめの垢をベッドの上にわざわざ置いて見せてくれたりするので、恥ずかしいけどちょっと嬉しいよく分からない感情の中「えへへ…なんかどうもすみません」と謎に謝ってしまいそうになる。消しゴムのように擦られて少し痩せてくれたら最高なんだけどな。

「ココどうしたの?怪我シタノ?もう治ッタ?」

私の右胸の脇に数ヶ所残っている手術痕のことも、先生はなんの躊躇もなく聞いてくる。不思議とまったく嫌じゃない。あまり踏み込んだことは聞かないのがマナーというか無難というか、そういう世界に慣れすぎた私は、気遣いからというより面倒臭さを避けるために見えないフリをしてしまうことがままある。だからちょっと先生の距離感が新鮮で、でも決して不快ではなかった。

「ハイ、ツギ仰向けなってー」 

片膝を立てられて内腿をガンガン擦られる。結構とんでもない格好で内腿の付け根のとんでもなくキワッキワの場所まで丁寧に擦ってもらう。この時点で、今地球上で誰よりも私の身体を把握しているのはこの先生で間違いないと思う。自分では絶対届かない場所や見ようとしても見えない場所も、足の指の股さえも、一期一会のお母さんにまるっと預けているこの不思議な時間と束の間の信頼関係が、何とも言えず心地良い。

「ツギ、横向イテ」

先生の息が上がってくる。きっと汗ばんでもいるだろう。仄かにキムチのようなニンニクのような匂いが立ち昇る。私があまり強めに洗ったことのなかった脇腹の手術痕の場所も、絶妙な力加減で先生が擦っていく。

ああ気持ち良い。全身を預ければ預けるほど、心を開けば開くほど良くなるこの感じ、なんかこれって限りなくセックスに似てる気がするな、なんて思ったりしながら寝転んでいる。

「来て良カッタネ、凄い綺麗になったネー」

毎日無意識に色んなお面をかぶっているので、ありのままってどれなんだよと思いながら生きている。生まれつき常に情緒が安定しているわけでも人より恵まれているわけでもない、日々騙し騙しどうにか自分でバランスを保っているのに、ありのままの自分大好き勢には合わせてあげている側のストレスは一生伝わらないんだよな。

「ハイ、腕伸ばシテ…」

頭の中の「語彙力の全てを駆使して泣くまで罵倒したい人リスト」をチェックする。もちろんそんなことは一生しない、多分。しないで済むように時々頭の中で妄想しながら棚卸しをする。

「ちょっと赤くナッタ、痛くナカッタ?」

大丈夫、気持ち良かったです。

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人前で感情を曝け出すのはいまだに苦手だけれど、こんな風に身体を丸ごと人に預けて触ったり磨いたりしてもらう時間は、確実に私を優しく軽くする。トゲトゲした感情や日々溜まっていく浮世の垢を人の手で取り除いてもらう贅沢を、これからも年に数回は味わいたいと思う。

着飾ったり盛ったり誰かを蔑んで自分を良く見せようとしたところで、こうしてスマホをロッカーにしまって裸で我を忘れる時間の尊さを前にしたら、そんなことは全てくだらないのだ。

最後にボディソープで全身を優しく撫でられシャワーで流す。大量の消しゴムのカスみたいな垢を流してもらった私は、隅々まで磨き上げたシンクのような、剥きたての茹で卵みたいな気分でアカスリコーナーを後にする。

「またイラッシャイネ、ありがとございましたー」

マジでこちらこそです先生。また来ます。

朝来る時にはがらんとしていた新大久保の街が、サウナを出る頃には竹下通りのように賑わっていて驚く。気がつけば結局制限時間ギリギリの4時間たっぷり風呂にいてしまった。

心身ともにピーリングしたてのツルツルの私はきっと今何を食べても普段の倍美味しいし、手の甲で試す化粧水のテスターはぐんぐん浸透していくだろう。ぼんやりとしか聴こえてこないように感じていた音楽も、今またちゃんと脳まで届きそうだ。まずはどこかで空腹を満たそう。

こんな風に私は自分を朗らかにしておくためのチューニングを何度も繰り返しながらやっていく、これからも。

遅い昼ご飯に一人で食べたガンジャタンは、汗をしっかりかいた後の身体に沁み入る美味しさだった。次来る時はご飯をシェアしあえる友達を誘おうと思う。

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