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生きた心地ポイント

“生きた心地がしない”

…不安や恐怖で生きている感じがしないという意味。

先日受けた人間ドックの乳癌検診で「要精密検査」になってしまった。そこまで暑い日ではなかったのに、帰宅してその結果を見るなり上半身から変な汗が吹き出して口の中がカラカラに乾いた。治療が必要な悪性の確率は10〜30%程度との所見だったけれど、その日は動揺と不安でなかなか眠れなかった。

そこから相応しい病院を調べて検査の予約をし、紹介状を作ってもらい、実際に検査を受けて「なんの異常もありませんでした」という結果を聞くまでのこの半月ほどの間、生きた心地がしないというよりは何をしていても「もしかしたら」という想いが頭から離れず、その度に心臓がすくむような感覚を味わい、自分の器の小ささとこれまで健康に生きてこられたことの有り難みを実感した。

あれをやり残しているこれを見届けてない、あそこに行きたかったしもっとこれがしたかった、というガッツ溢れる心残りはあまり思い浮かばず、そのかわりに「ああ、もうしばらくの間この人生を続けていたいなぁ」という気持ちが浮き彫りになる。日々の小さな不安や不満や後悔が完全にチャラになることはもう多分一生ないんだけれど、それでも私はまあまあ今の自分の人生を気に入ってるんだなということに気づいた。混み合う大きな病院の古びたソファで名前を呼ばれるのを待ちながら、近い将来には確実に「なんの異常もありませんでした」で済まない日が自分にも来ることを強く意識した。


先日『愛について語るときにイケダの語ること』という映画を観た。私が今一番会って話してみたい人は彼かもしれないがそれはもう叶わない。

生まれつきの四肢の障がいと30代で突きつけられるステージ4のガン。余命を意識した主人公のイケダが傾倒していったのは風俗嬢と自分自身のいわゆる「ハメ撮り」で、自分が死んだらそれらと共に自分の生き様を映画にして欲しいと友人に託す。

これだけ読むと「タブーに挑んだ話題性と泣ける感動ポルノ」っぽく感じてしまうんだけれど、彼らはそれすらも作品が注目されるための計算に入れていた気がしてならない。そのくらい良い意味で裏切られる、湿っぽさはなく感動を強要してくることもない、ラストにはちょっと青春映画のような爽やかささえ感じる作品だった。

間違って伝わるのが怖い非常に難しい言い方になるけれど、イケダは自分が障害者であること=守られるべき可哀想な存在でなくてはならないこと、真面目で善良な人間でいることを常に世間から漠然と期待されることに、応えつつ猛烈にイラついてもいたんじゃないかなと思うのだ。

人は誰しもがきっと不可解で複雑なグラデーションを生きている。その点でだけは性差も障がいの有無も貧富の差もなく、等しく誰もがそれぞれに謎の性癖や歪んだ性欲、トラウマや醜い感情や複雑に迂回した差別観を孕みながら生きているんじゃないかと思う。

だからこそ、私は知的でユーモアもありオシャレで紳士的なイケダが、お金を払って呼んだ女の子のオッパイを隙あらば触ろうとしてしまう姿や、最初に金銭の絡むSEXありきでしか異性と関係性を始められない繊細な卑屈さや、「愛してる」っていうことが実はよくわからない、と吐露する姿にもの凄くグッと来てしまった。

実は私もよく分かんないんだ、イケダ。

でも、自分が望んだ「作品上の」フェイクの告白に、図らずも本気で迷ってノーと答えてしまったあの感じこそが、実は偶然のように撮れてしまった紛れもない彼の愛の一つの形なんじゃないかな、とあれから時間が経って考えるほど今はそんな気がしてならない。

映画の中盤、かなり体力が衰え始めてきたイケダが久しぶりに利用した風俗の帰りに「どうでしたか?」と聞かれて「いやー!トロけたね。病気のこと忘れてた」と笑うシーンがある。イケダにとってそれはまさしく「生きた心地」を満喫した瞬間だったんだろうな、と思ったら鼻の奥がツンとした。

気の置けない人と楽しく酒を呑んで、明日は休みだしこの夜がもう暫く終わってほしくないなーなんて思いながら無駄に遠距離を歩いて帰る夜や、新しい靴を初めて履く朝。仕事中に同僚とついバカ話で盛り上がってしまう時や会場の照明が落ちて待ちに待ったライブが始まる瞬間。銭湯に向かう途中の月が綺麗な夜道。誰かの体温を感じる時間。待ち合わせ場所に先に着いていた人が私を見つけて「あ」って顔をした後に微笑む時。そういうささやかな「生きた心地」のスタンプが自分のポイントカードに1個、また1個と押されていく気がする。

何個で満タンになるカードを持たされているかは人によるし、カードのマス目の数を事前に知ることはできない。そういう大事なカードが胸の奥にはいつも畳んで仕舞ってある。


※吉祥寺で夜の一回のみ数日間の上映予定だったこの映画が、2022年になった今も日本中で順繰り上映されている。凄いことだと思う。

私がこの作品を知るきっかけになったのは二村ヒトシさんのラジオだったが、私が観に行った日は丁度二村さんをゲストに招いたトークイベントがあり、とてもお得で有意義な夜だった。






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