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夜にしがみついて、朝で溶かして  ライナーノーツ①

『1.料理』が好きかと聞かれると正直なんとも言えない。家族に食べさせる必要に迫られて毎日作っているうちにレパートリーは増え、手際が良くなり、手抜きを覚えた。仕事がすっきり片付かずにメインの惣菜を買って帰る日も、ここで言えないような心配ごとがある日も腹は減る。会話が弾む日も弾まない日もご飯が炊ければとりあえずいる者で揃って食卓を囲む。夫婦って家族ってなんなんだ、と時々考える。

後片付けが済んだらウォーキングに出かける。ダイエットや健康のためというより、独りで好きな音楽を聴きながらうっすら考え事をしたり、逆に考え事をリセットするために歩いている。今夜は『夜にしがみついて、朝で溶かして』を再生しながら家を出た。

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クリープハイプの良さはもちろん演奏のカッコ良さでありクセになるあの歌声でもあるけれど、圧倒的に際立つのはやはり歌詞なんだと思う。耳で聴いていて引っかかった歌詞を文字で読んだ時にもう一度唸るような、二重三重の言葉の仕掛けがそこにはある。

でも、言葉は危うい。凝り過ぎれば本質がぼやけ飾り過ぎれば陳腐になり、尖り過ぎると意図しなかった場所で誰かを傷つける。ちょっと前まで何気なく使っていた表現が気づけば時代遅れっぽくなっている。『2.ポリコ』はきっとそれを知っている。言葉はナマモノだから腐るし、発する側の思い描いた通りに届くとは限らない。そして誤解を回避するために表現したかった衝動の角を擦って綺麗にしすぎてしまったら、引っかかりのないツルツルの無難でありふれたものになってしまうということも。でも私が知りたいのはいつだって正しさ「だけじゃない方」の話だ。

言葉の危うさ頼りなさに落胆しながらでも、それでも誰かに何か伝えるためには言葉で試し塗りを重ねていくしかないという決意みたいなものを感じるのが『5.愛す』であり『6.しょうもな』だと思った。愛しい人を可愛さ余ってブスと言ってしまったり、言葉なんてただの音だし遊びだと言いつつ「いつか届きますように」と願う裏腹さ。そして突然「お前だけに用があるんだ」と突き付けてくる率直さにグッと来てしまう。「みんな」じゃなくて一人一人の「わたし」にその歌は届く。

そして言葉が音符なら、休符の大切さについて触れているのが『3.二人の間』だと思う。沈黙は、時にその人の話よりもその人の輪郭や自分との関係を際立たせる。ダイアンさんが歌う動画も良かった。

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先週までのクリスマスムードが終わって街は一気に新年の準備に向かっている。マスクをしていても鼻から吸い込む空気が冷たい。イヤホンからは『4.四季』が流れている。いつのことだか思い出してごらんで始まる、子供の頃歌った「おもいでのアルバム」という曲を思い出す。日ごと季節ごとに色んなことを感じながら生きているはずなのに、1年も10年もあっという間に過ぎてしまう。忘れてた分思い出せるのが好き、という歌詞をなるほどたしかになーと思い、優しいと思った。

あんなに欲しかったものも、身近なものになってしまえばそれは日常に組み込まれてやがてキラキラもドキドキもしなくなる。無理して買った靴もそう、夫になった恋人もそう、誰かにとっての私もそう。『7.一生に一度愛してるよ』を聴きながらそんなことを考える。初期の発表曲のフレーズがあちこちに滑り込ませてあるこの曲の歌詞のように、あの頃こんな話をしたしあんなこともしたじゃん、と当事者にしか分からない暗号を交えながら時々思い出さないと、私は今手にしている当たり前がかつてのときめきと地続きだということを忘れがちだ。

子供が大きくなり段々と自分のために使える時間や心の余裕がまた戻ってきて、その隙間に絶妙な感じでスルッと入ってきたのがクリープハイプだった。こんな風に歌を聴いて心がヒリヒリしたり、チケットの当落に一喜一憂する日々がまた自分に戻ってくるなんて思いもよらなかった。そして今、高校生になった娘はなんなら私よりも頻繁にクリープハイプを聴いている。彼女がこのアルバムで特に好きなのが『8.ニガツノナミダ』だ。彼女は私ほど歌詞に深く執着するわけではなく「カッコいいから」繰り返し聴いている。しばられていないように見えて、きっと彼女も日々いろんなしばりと闘っているんだろう。

※長くなりましたが、②へ続きます。







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