見出し画像

#親友よ、結婚おめでとう 【大人になって感じる変化と成長】

これは2年前の夏。
助手席のサイドミラーに移る自分が、自分をぼーっと見つめていた。親友のミント色のトコットが、穏やかな海沿いを走る。音楽は親友のチョイス。流行りの洋楽がさりげなく流れ、親友も口ずさむ。

その時流れていた洋楽はわたしの知らない歌だったけれど、親友は昔からジャスティン・ビーバーが好きだった。高校のころ、CDを借りたこともあったっけ。
安全運転な親友の運転のおかげか、意識が外ではなく、内側である自分に向く。ふと目を瞑る。

外は果てしなく海。
車の中にいても肌がじりじりと日焼けをしているのがわかるぐらい、外はカンカンに晴れている、日照りの中。

私たち、変わったなあ。
そう、わたしは思っていた。

わたしと親友の高校時代

地元、新潟、通学路

わたしと親友は、中高一貫校の出身なので、中学一年からの付き合いだ。中学一年の頃は、12歳。いま、わたしたちは、26歳。知り合ってから13年もの時が経っている。

仲良くなったきっかけは明確には覚えてはいないが、2人とも気遣い症な性格だった。
田舎の中学なんてたかが知れてるけれど、学校なんてものはどこにいってもクラスのヒエラルキーみたいなものがある。わたしと親友は変に気遣い症で他人にやさしく振舞うところがあるから、ヒエラルキーの上のサッカー部と付き合うような女子とも、下のクラスでずっと本読んでるような女子とも仲良くなれるような中間ぐらいのポジションにいた二人だ。

共にお人好し。たぶん二人して素でやってるんだけど、あまりにも愛想が良すぎて八方美人と呼ばれることもある。
でも狙ってやってるわけでは無く、これが自分の素だとも思う。

そんな二人がひょんなことに中学一年の頃同じクラスになったことで仲良くなる。
中高一貫校6年間一緒だったうち、おなじだったクラスが6分の3しかなく、クラスは別々になることが多いながらも、中高6年間を共に過ごした。

わたしはお人好しすぎる彼女のあたたかさが大好きだ。
彼女には、自分が思っている全ては言えないが、(芯がしっかりしていると自分で言うのは馬鹿な話だが、自分は「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」だと物言う性格でもある。全てを彼女に話してしまうと、彼女の清い考えを汚してしまいそうな気もして、言えないこともある)
干したばかりのお布団みたいな、ぽかぽかなそんな包容力がある親友。

卒業してからも、大学は彼女は千葉、わたしは名古屋で遠距離をしていたけれど、ちょくちょく長期休暇になっては旅行に行ったり、お互いの家を行き来する中で、社会人になってもそれは同様。
干支一周分以上、仲良くしてるなんて、自分でもびっくりである。

相性診断75%


高校生のころ、いつしかわたしと親友は、高校生のころに地元のイオンに遊びに行ったことがある。学校から少し遠かったので、土日になにも用無しに遊びに行くのが、田舎の高校生の醍醐味だった。
そのとき、たまたまゲームセンターにあった、生年月日を入れると2人の相性が分かるよ!という、アニメ声の女性が爆音でナレーションをしているゲームを見かけたことにより、相性診断をやってみようということに。

遊び半分でやってみたところ、診断結果は75%。
いいと思うのか、悪いと思うのか、微妙な数値なので、人それぞれだと思う。
ただ、そのとき齢17のわたしは、100に近いぐらいの高い数字であることを願っていた。高い数字じゃないと親友がどこかに行ってしまう、という不安に駆られていた。それ故に、えらく焦燥した。

当時、自分の心の内を開示できる心から信頼できる友達は、親友しかいない、とさえ思っていた。
家でも親の期待に応えなきゃといい子を演じ、学校でも周りに誰でも優しくするいい子を演じ、「これが辛かった、悲しかった」なんて言える子、親友しかいなかったから。

その点数を見たとき、親友はいつもみたくけろっと、「ま!ゲームだしさ!」と言っていた。
あとでこのエピソードを覚えているかというのと、わたしはあの時すごくショックだったんだよ〜と親友と話す機会があったから聞いてみたけれど、親友は「あれ?そんなことあったっけ?」って何も覚えてなかった。


自分を見つめ直すきっかけ

21世紀美術館、はじめて行ったんだけど、子供いっぱいいた。
大人でもよくわかんないアートだらけなのに、小さい頃からこういうアートに触れてたら感受性豊かな子に育ちそう!

親友と、2年前に北陸旅行に行った。
この頃のわたしは、心が揺さぶられていた。
せっかくだし、そんな心をぱっと気晴らせようか、と話して、決まった旅行である。

他の記事でもちょくちょくこの話題に触れることはあるんだけど、当時のわたしは、「自分が何をしたいか」「どうありたいか」を重要視してはおらず、「自分が周りの人からどう見えるか・見られるか」という、いわば"他人軸"を必須の価値観としていた。
それ故に、周りから言われたことや、否定的な言葉を言われるだけで、過剰に反応してしまっていたところがあった。
本当は心ではこれは違うのではないか、と思っていたことなのに、周囲の人間に悪い気持ちにさせたくないという気分から、周りの要求に必要以上に応えすぎて、心が疲弊してしまってもいた。
そのため、周りに気を遣いすぎてしまっている自分を、もう一度見つめ直したいとも思っていた。
そんな、わたしが自分が嫌いと思うとき、思い出すのは親友からもらった言葉だ。

「自分の中の"おはぎ"は、ご飯と餡子どっちが多い?」


この表題、絶対他の人が見ても分かんない。(笑)
このセリフは、わたしが親友から言われたことがあるセリフだ。

「自分の中の"おはぎ"は、ご飯と餡子どっちが多い?」

"ご飯"は自分の内面、"餡子"は外から見た自分である。いわば、「内に秘めている自分の比率が高いのか、外に感情をさらけ出せているのか」という違い。
親友は、この話を大学時代、心理学の授業で学んだらしい。

わたしは確実に餡子の割合が高い人間だと思う。
餡子は他人からの見られ方を気にし、自分を繕うこともある。周りに気を遣う自分だからこそ、ご飯と餡子の比率に悩むことがある。

そんな自分の中の天秤が釣り合わなくなったときに、親友はたしか、「うまく周りの信じられる人を頼って、話していくんだよ」と言ってくれた。
その当時の私は親が上手くいっていないこと、仕事もなかなか自分の力が発揮できずに悩んでいたころだったから、夜、温泉に入った後の布団の中で、そっと親友の言葉の優しさに涙を流した覚えがある。交友関係が広いわたしではあるが、わたしのなかで心から信じられる大好きな人は一部の人間で、そんな大切な存在に柔らかい言葉をかけてもらえるだけで、自分には味方がいるとわかって、心が柔らかくなるのであった。

親友よ、結婚おめでとう

向日葵観に行ったけど、しおしおだったね(笑)


今はわたしは東京、親友は地元で教鞭を取り、遠い土地に暮らしていて、それぞれ歩む人生は違うだろう。
ただ、わたしは親友のことが、心から大好きだ!
遠くても大切な存在に変わり無い。
いつもわたしの脆い心に寄り添ってくれてありがとう。
結婚おめでとう。
あなたを愛してくれる大切な人が、あなたのそばに現れて、わたしも心から幸せです。
改めて見ると大好きと伝えたい、親友はわたしの人生に必要な人間の一人です。
こころ優しい親友が選んだ人だからこそ、旦那さんはとっても素敵な人なんだとわかる。
お互い子供が生まれても、末長く仲良くしてね。大好きです。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いいたします◎