サッカーとは過剰なまでに感情的なスポーツ
1. 怒りや喜びの背景にあるもの
スペインでの自分のサッカーの日常を感情の視点から考えてみる。
チームメイトには様々なバックグラウンドを持つ、多国籍な年齢からキャリアまでバラバラな選手たちがいる。
同じフォワードでも、ひとりはシーズン当初から明らかに感情に振り回されているのが分かり、もうひとりはとてもマイペースである意味掴みどころのない選手だった。
感情に振り回される彼は、練習でも怒り、喜び、不満、退屈などの感情を抑えることなく解放する。
ポイントは、それらの感情の爆発ともいえる言動、態度がチームにどのように作用するかだ。
彼自身、非常にコンペティティブ(競争力がある)な性格で、ボールを常に要求し、得点に飢えている。
そのキャラクターの強さが、周りの選手たちの競争力を高め、またゴールへの意識を高める。
と同時に、彼自身の結果が出ない時は彼の不満やストレスを周りにぶつけてしまう傾向がある。
そうすると、彼への周りの信頼度は下がり、結果としてチームとしても、個人としてもデメリットしか生まない。
彼がなぜそこまで怒りや、喜びを表現するのか。
怒りからは、自分自身で他者をコントロールしたい、という意志が伝わる。
また喜びからは、チームの士気を高めたいという意志が伝わる。
彼なりの勝利への意志がそこからは感じられる。
影響力が強い選手なだけに感情をコントロールすることを学べばとても良い選手であることは間違いない。
2. サッカーとは感情のスポーツ
感情を分かりやすく表現するもよし。
内に秘めて、背中で見せるもよし。
そこに絶対の正解はないと思う。
サッカーにおける絶対とは、感情が揺れ動くスポーツであること。
スタジアムに足を運ぶサポーターは、ピッチのなかでプレーする選手たちに無意識に自分たちの意識を投影させて、喜びや、怒りといった感情を覚える。
葬式のようなサッカーの試合には誰も興味がないだろう。
サッカーが感情のスポーツといっても過言ではないが、自分たちプレーヤーは感情のコントロールを身につけなければ致命的といえる。
短期的な結果は残せても、長期的な安定したパフォーマンスを残すには、感情に任せてプレーするだけでは不十分だ。
多くのトップレベルでプレーする選手もプレッシャーや、連戦による肉体的疲労からくる感情の変化、また燃え尽き症候群といったポジティブな出来事の後にやってくる感情の変化など、まさに感情の激流にしばしばメンタルを消耗してしまう。
3. 感情をリスペクトし、距離をとる
多くのサッカー選手は好きや夢中からサッカーを始める。
その後に飯を食っていくためのキャリア、仕事へと移行していく。
始まりは、まさに感情のままにプレーするのがほとんどだろう。
だが、必ずどこかのタイミングで一度、感情を自分でコントロールする側に立つことが求められる。
南米の選手たちで貧しい出の選手たちが、最初から覚悟が異なるように感じられるのは、子どもながら感情を既にコントロールしようと自制心を持っているからだろう。
有名なアルゼンチンのカルロス・テべスという選手のインタビューでの言葉が僕のこころに深く突き刺さっている。
彼のキャリアはサッカーをやっている人には説明不要ともいえるほど輝かしいものだが、一応それ以外の人にむけて。
南米最高峰のリベルタドーレス杯、ヨーロッパ最高峰のチャンピオンズリーグどちらも制覇した歴史的に数少ないレジェンド的選手のひとり。
その他アルゼンチン代表としても長らく活躍し、ワールドカップにも二度出場。
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