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芸術が現代にも生き続けるわけ


1. 踊りと音楽


これだけ人類が産業革命や技術革新を起こし続けて、日々そのスピードを速めても、世の中から祭りごと、音楽、踊り、そういった芸術が無くならないのはなぜだろうか。

太古の昔から、ずっと人は踊り、歌い、心と体がひとつになる瞬間を大切に生きてきた。

世界中どこにいっても人という生き物は踊り、歌い、今この瞬間を生きる、そういう生き物だと実感する。

そして踊りや音楽は自分以外の誰かや何かと繋がる力を秘めていることも同時に感じる。

音楽と言語を学ぶことは似ている。

どちらも音であり、言い換えれば波である。

心地よい波は人を温かく包み込み、反対に不快な波はノイズとなりストレスを生む。

この世の全ての物質は量子の視点から捉えると、固定されているのではなく、常時揺れ動いている。

揺れが大きければ大きいほど、その物質は広がりを持ち、反対に小さいと限りなく固定されているように見える。

水が分かりやすい例だが、水は熱せられ、揺れが大きくなると水蒸気になり広がりを持つ。一方、冷やされマイナス0度以下になると、揺れは最小限になり、氷に姿を変える。

人々が踊り、歌い、熱狂するのは、ひとつに揺れが大きくなり、周囲の人や自然と同化する感覚を覚えるからではないかと思う。

同じ音、波を共有する。

脳のなかを覗くとその正体は波であることがわかる。

一見この世のありとあらゆる身の回りの物質が固定されているように錯覚しがちだが、それは自分たち人間が、短い時間軸でしか物事を捉えていないからだ。

諸行無常。

仏教用語のひとつだが、近代科学が発展する以前から日本人は、この世のすべては常に変化するものだと理解し、生き方に反映してきた。

まだ量子科学は当然、顕微鏡すら存在しない時代だ。


2. 人類の可能性


もっと人間の本来持つ可能性に目を向けていいんじゃないかと最近は特に感じる。

溝江達英さんという世界言語学者(肩書からすでに天才そうな雰囲気)の方が書いた本のなかに「言語直感」というワードが出てくる。


突然だが、このふたつのイラストを見たときに、どちらが「ブーバ(bouba)」で、もう一方が「キキ(kiki)」であるかを予想してみてほしい。








おそらく、なんとなくだが右側の図が「ブーバ」で、左側の図が「キキ」だと思ったのではないだろうか。


驚くべきことに、そう答える人の割合が母国語や文化的背景とは無関係に大多数だそう。

大人でも、子どもでも割合は変わらない。

人間は、先天的な直感として、キキとブーバの音に対するイメージを持っている。これを言語直感と呼ぶのだとか。


ポイントはこの言語直感を磨くことのメリットについてだが、一言でいえば言語学習のインプットの質が格段に上がる。

情報を受けとる際に直感的に正しさや自然さを感じることができれば効率が良くなる。

言語直感があるという事実を知った時、それだけでとてもワクワクした。

言語学習に遠回りは付き物だが、出来ることならば最短を行きたい。

そう願う自分にとってはまさに目から鱗であり、これからの学習の楽しみがまたひとつ増えた。



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