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自分の敵はだいたい自分



1. 自分の敵はだいたい自分


自分の人生を振り返るなかでもっと早くにその存在に気づいていれば、と思うことは自分のなかにはびこるネガティブバイアスだ。

ネガティブバイアスとは簡単にいうと、まだ人が自然のなかで暮らしていて、どこに危険が潜んでいるかわからない時代の防御システムのようなものだ。

このバイアスが働くことで、人は判断スピードを早め、危機から身を守った。

しかし、それらの危機から遠く離れた世界を生み出し、そこに暮らす現代の人々にとって、それらのバイアスは時代遅れとなった。

現代人にとってネガティブバイアスは、しばしば必要以上に不安や恐怖を呼び起こし、行動を妨げる原因となっている。


残念なことにサッカーの世界というのは、負けや失敗で溢れている。

プロサッカー選手になることを目指した人が100人いたとしたら、99人は始めに思い描いた世界にたどり着かない。

去年自分はスペインでキャリア初のリーグ優勝を経験した。

だが、優勝したチームであってもシーズンを通じて無敗だったわけではない。

またチーム内でのスタメン争いで悔しい思いを何度もした。

なかには優勝請負人という異名がつくほどの実力、経験を兼ね備える強者もまれに存在するが、ほとんどのサッカー選手は優勝を経験できない。


負けや失敗に溢れるこのサッカー界で、さきに触れたネガティブバイアスを発動させると、まるで上手くいかない。

ただでさえ人にはネガティブな要素を探す機能が備わっているのに、そこらじゅうに負けや失敗が転がっていたらたまったもんじゃない。


2. バイアスを逆手にとる


ではどうすれば、良いのか。

自分なりの解決策を3つ挙げるとする。


1.失敗の定義を変える 「起きていることはすべて正しい」

2.人と比較しない 「自分に勝ち続ける」 
 
3.確証バイアスを利用する



ひとつ目だが、そもそも負けるとは何か。

負けを定義するには時間軸がポイントになる。

短期的に見ると、試合に負けたことがこの世の終わりのように感じれることもある。

だが、長期的に考えると負けた事実は変えることができなくとも、そこから得た経験を何かに活かすことは可能であり、負けが価値を持つようになる。

サッカーというスポーツにおいて勝ち負けを決めなければ、ゲーム性が担保されないから、あくまでそういったルール設定をしているだけだ。

また少し違った言い方をすると、「起きていることはすべて正しい」と考えるようにすることだ。

たいていの人間関係における悩みや不満というのはこう思うことで、前にすすむ新たなきっかけになる。

結局のところ、人生レベルで考えた際に昔の負けがオセロのようにひっくり返って今の勝ちのなっていることはよくある話だ。



二つ目は、人と比較しないだ。

誰かと競った場合、全戦全勝は不可能になる。

唯一全戦全勝が可能なやり方は、自分と戦い続けることだ。

戦うというと、大それたことに思えてしまう。

自分との約束を果たし続ける、というほうが個人的にしっくりくる。

ささやかな約束で構わないから継続すること。



三つ目は確証バイアスと呼ばれるものだ。

これは、一度興味を持ったものや、正しいと思うものに関する情報ばかりが目に付くようになること。

ネガティブバイアスに対抗するとっておきの機能といえよう。

言語を習得する際の僕のイメージはこの確証バイアスに近いものがある。

いままで全く知らなかった世界(学んでいる言語)が少しづつ断片的にだが、自分という世界に彩りを持つようになる。

何年もスペイン語を勉強していて、必ず耳にしたことや目にしたことがあるはずの言葉も、自らが注意を向けるまではその姿を現さない。

あるとき、何かのきっかけでその存在を知ると点と点が繋がるように一気にその言葉が意味を成すようになる。


人の脳は、常に情報をふるいにかけ、自分にとって、時にネガティブな情報を選び、また反対にポジティブな情報をキャッチする。

人は偏った生き物であるということを認識するだけで、自分との付き合い方が少し上手になると思う。



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