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運ではなく実力


1. 運の正体


サッカーというひとつのことを長らく続けていると、よく「運」という言葉を耳にします。

そして、年々「運」ということが一般的に言われるような、サイコロを振って何回か一回に巡ってくるチャンスのようなものではないことが身に染みて分かってきました。

そもそも「運」自体は、常にそこにあるのです。「運」を掴む人とそうでない人の違いは、準備ができているか、そうでないかだけなのです。

「才能」についても同様のことが言えるでしょう。

それは突然天から授けられるものでもなく、100万人にひとりだけに与えられるような希少なものでもなく、誰しもが何かしらの「才能」を持って生まれてくるのです。

問題は、「才能」を自覚し、磨いていく意志を持ち、その「才能」を活かす環境、方法を見つけることです。


人間とは、時に残酷で恐ろしいものだと感じます。

なぜ私たちは、時に自分があたかも全てを分かったようなつもりになったり、もしくは後に間違っていたと気づくようなことに関してもその瞬間は自分が正しいと信じて疑わないのでしょうか。

人間の中には、そうやって自らの過ちや愚かさに気づかず、一生を過ごす人もいるでしょう。


人間は、自分という檻に閉じ込められ、その一生の多くの時間を自分の思考のみに縛られて生きるものです。

勉強する意味のひとつに、自分という檻の外側へ一歩でも出ることで、この世界を少しでも、多角的で俯瞰的な、偏りの少ない視点で捉えることがあるでしょう。

勉強とは、必ずしも本を読んだり、なにかしら講座を受講することだけではないのです。

日常のどんな小さなことから、地球の裏側で起きている出来事に至るまで、ありとあらゆることが学びになるのです。


必要なのは。学びを得ようとする目と耳を持つことです。

その姿勢こそが、まさしく「才能」の正体であり、「運」そのものなのです。

多くのサッカー選手(人間)は現状を維持することで満足します。

だからこそ、「才能」を磨き続け、「運」を掴み続けようとはしません。

「言い訳」を探したり、「過去」にばかり目を向け、痛みを遠ざけようとします。

そのような生き方は、ある意味でひとつの幸せの形でもあります。

自分個人としては、それを否定するつもりはありません。

しかし自分は幸か不幸か、今述べたような現状に満足して、惰性で生きるような人間とはまるで正反対の人間を知っています。

彼らの存在が自分の価値観に及ぼす影響は大きく、今後も自分の背中を後押しし続けてくれることは間違いないでしょう。


いま自分たちのチームは、リーグの順位にして7位で、直近5試合の結果は、1勝1分け3敗と理想的な内容ではありません。

チーム全体の雰囲気としても、疑いの声や、問題点ばかりを指摘する声、もしくは現実逃避とも言えるような楽観的すぎる意見、姿勢が見受けられます。

そのような状況においても、個人として、チームとして目標とする成果を収めるには、良い意味で周りの流れとは逆行するような思考が求められます。

それは強風が吹き荒れ、荒波のなかでも、流れに身を任せる柔軟さや、タイミングを見極める目を持つような感覚です。

きっと明日の試合でも、大波が立ち、真っ向からやってくる強風が自分たちを苦しめるでしょう。

たとえ一時は霧やもやで視界が遮られたとしても、ゴールを見続け、チームを目標へと導くことが自分の役割です。

あと24時間後には、結果が出ていることだと思います。

簡単ではないですが、面白い挑戦になることは確実です。

明日の試合での勝利へのイメージを描きながら、今日は眠りにつこうと思います。




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