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アートについて

語るのは恥ずかしい、と思っていた時代が自分の中で終わったみたいだ。
大層なタイトルから始まるが、もう人生の半分以上をアートと共にいるんだから友達みたいなものだろう。
素直にアートと言えるようになったから、ちゃんと言葉に残そうと思ってnoteを始めた。自分の中で "アートとはこういうもの" と見えて来たから、誰かに伝えたくなった。

・出会い

パイプ

12歳でマグリット展を見に行った日から30歳になるまで、美術展には通い続けていたと思う。さらに辿れば、父親の仕事関係でポンピドゥセンターの日本展だかに行った記憶もあるけど、自意識としてはマグリットが最初になる。
-不思議空間へ- マグリット展 2002年
ポンピドー・コレクション展 1997年
この2展がなければ美大にも進んでないと思っている。それくらい楽しかった。そして記憶に残っている。

・向き合えない日々
その後運良く、とは言わない、結構頑張って現役補欠で美大に入学し、ぎりぎりで卒業。
でも本当にやりたいのはずっとファッションだった。
それがアートと向き合いきれない一番の理由だったと思う。
それでいて上手にファッションとも向き合えない。
どちらにいても、半端者のような気持ち。お恥ずかしい、と言いながら悔しさが募る日々。

なぜか自分はやりたいことの一本横道にいつもいる。狙ってるわけじゃなく、いつも主流になれないのだ。
ただ、物事は継続というように、横道に居続けたらそれが自分のメインストリートになるものだ。なんて陳腐な言葉かと思うけど、開き直って受け入れて強みにするしかない。

仕事で営業一本(でもなかったけど、その人もバンドやってたし)な先輩に
「マルチプレイヤーは何者にもなれないですよ」
と言われて泣いた日もあったけど、全部を見て来たから少しは優しくなれた。仕事は投げつけるだけじゃダメだと。

20代の呪縛からも解き放たれて、ふと肩の力が抜けたらアートと向き合えるようになった。

意外と知ってるし、見てるし、好きだぞ。と。
そして大事なのは、人より数を知っていることでは無かったと。

・私とアートの関わり方
これを深く感じたのは、2019年3月31日「ソフィ カル ─ 限局性激痛」(原美術館)を見た日。
当時の気持ちがinstagramに残っていたのでそのまま引用する。


スクリーンショット 2020-08-25 15.02.21

------------原美術館でやってたソフィカルの限局性激痛、すごく良かった。

内容も良かったが、見終わった後4人でお茶(なり、食事なり、本当に自由)をしながら、ポツポツと自分の話を順番にしたこと。
それが一番良かった。
10年も一緒にいる4人で、まだ話した事も無いような事や、言うのが少し苦しいことを、何かに刺激されたように話し始めた。

アートに触れて、それがジワリと自分達の行動に影響して、何かが少し変わる。
それこそアートのあり方、受け取り方だなと本当に感動した日だった。
アートを見た自分をシェアすると同時に、どう感じたかを言葉にまとめるのも大事だと思ったよ、内緒の日記でも良いから。
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この日以降、アートとの向き合い方が変わってきた。
結局は、自分なのだ。
自分であり、自分のいる現実であり、目の前の物事の反射。

アートは誰かの思想から生まれるけど、その人を理解する必要はない。
アートに触れたその日の体験が、自分にどう響くかをしっかり受け取ること。
その影響で明日の行動が変わること。
空の色が違って見えること。
誰かに優しくなり、向き合う力。

そういう自分の変化こそがアートとの向き合い方であると、一つ答えを見つけた。
アート、美術展に行ったら、自分の中に落とし込んで、自分の意識の全部にアーティストの表現をぶっかけてみて。
響かない、共感しない、好きじゃない、それもひとつの答え。なぜ響かないのか?を深追いしてみるのをオススメする。


もうひとつ、アートを見る姿勢で私の気に入っている所。
全くの他人の強い主義思想と対峙する、タフな遊びだってところ。
一度自分をフラットにしてなるべく全てを受け入れる。
否定ではなく、自分との違いを認める。違うことは全く悪くない。

みんなが良いと言ってるからって褒めなくても良い。
同じ作品をインスタに載せなくても良い。
ただ、思ったことを言葉にするのは大事かもしれない。


そう思って、アートを語ろうかと始めたnoteです。

きっと、そういっていろんなことを話す、自分のことばかりだけど。

2020.August お腹が痛い1日。









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