2. 青森に青い閃光を見た

青森県は私にとって、近くて遠い場所だった。私は秋田県出身なのだが、隣県といえど東北6県は一つ一つの面積が広く、東京から埼玉や神奈川に行くのとは訳が違う。おまけに青森と秋田両県には、白神山地と十和田湖という二つの景勝地が跨っており、それらがどちらのものかと聞かれれば、各県出身者は自らの県の所有権を主張するような有様なのである(というのは過言だが、実際十和田湖上の両県境界は今でも明確に定まっていないらしい)。
実際のところ、私は青森に対して何の反感も持っていないどころかその魅力を伝えたいので、ぜひ私にも青森県を訪れた思い出と、訪れたい場所を語らせていただきたい。

1. 【思い出の場所①】五能線〜浅虫温泉

2014年8月。大学2年生の頃、私は青春18きっぷにハマっていた。点より線の旅、つまり各地を巡ることに喜びを感じるタイプだった私は、その年東北〜北海道巡りを計画していた。そしてお盆で帰省した秋田県を始点とし、計画は実行された。

秋田から青森に電車で行くには、日本海沿いを通る五能線ルートと山の中を通る奥羽本線ルートの二つがあるのだが、私は五能線を選択した。なぜならその道程は、「車窓から海が見える」レベルではないからだ。海岸線ぎりぎりを国道と線路が走っており、それがずっと続いていく。夏の朝日に照らされた海面はきらきらと光っていて、当時旅の始まりを感じたものである。ちなみに日本海側では夕日は山ではなく海に沈むので、夕暮れの五能線は紅に染まる日本海を一望することができ、それはそれは絶景である。

その旅ではそのあと北海道・函館を訪れ、一泊して青森に戻ってきたのだが、太平洋側に向かう青い森鉄道の途中で、私は浅虫温泉に立ち寄った。浅虫温泉は陸奥湾に臨む海沿いの温泉地で、道の駅「浅虫温泉 ゆ〜さ浅虫」に併設されている展望浴場に日帰り入浴できるのだが、やはり体を温めながら海を眺められるのは極楽である。目の前の青々とした小島の波打ち際には小さな鳥居が建っているほか、遠くには恐山が荘厳さを纏いながら聳え立っていて、ああ、あそこには電車では行けないんだな、と日本の広さを再確認したものだった。

もう少し時間があればもっと多くの場所を巡れたのだが、そのときは次なる岩手県が待っていたので、残念ながら大学時代の青森の思い出はここまで。

2. 【思い出の場所②】青森市・サンシャイン

2011年6月、私が高校2年生のとき。私は「Gracias」と共に、電車に乗って青森に向かっていた。
「Gracias」は当時私が所属していたバンドの名前だ。高校1年生のときに出会った友人から、中学時代から組んでいるバンドがあるというので誘われたのだが、あれよあれよと加入が決まり、ボーカル・ギター二人・ベース・キーボード・ドラムの6人体制という大所帯バンドとなった(一時期歌詞担当等も合わせて9人体制だったときもあった)。
当時は「閃光ライオット」という10代限定のロックフェスティバルがあって、オリジナル曲を応募し、予選を勝ち上がると日比谷野音でライブができるという刺激的なイベントだった。私はそのとき16歳、10代ど真ん中だったので、思いの丈を歌詞にぶつけて応募したところ、なんと一次音源審査を通過したのである。そして二次ライブ審査の会場が、青森市にあるライブハウス「サンシャイン」だった。

友人とともに県外に出かける機会なんて、田舎の高校生には修学旅行くらいしか予定がなかったものだから、まずそれ自体が楽しみだった。ただ、6人体制での活動は1年弱で、ライブ経験も持ち曲もほとんどない中、いきなり審査としてライブを行うとなると、なかなかひりひりする感覚があった。私たちは二次審査までの1か月ほどの時間で、持ち曲をなんとか増やしつつ、少ない時間で練習に励んだ(なにぶんシックスピースバンドは時間が合わなかった)。

そして迎えた当日。私たち6人は道中わいわいと燥ぎ、白昼の青森駅に降り立った。携帯(ガラケー)に届いた案内を見ながら、なんとか会場を目指していると、まだシャッターを上げていない飲み屋街の先に、オレンジ色の力強いフォントで、「SUNSHINE」が現れた。おそるおそる地下への階段を下りていくと、どうやら会場は合っていたようで、出番までの間、私たちは2階席から他バンドのパフォーマンスを見ることになった。
humblemanさん、ロンゴロンゴさんの2バンドによる素晴らしい演奏が終わったあと、いよいよGraciasの番がやって来た。私は1曲目ではボーカルだったので、ステージに立ち、スタンドマイクの前に立って、客席の奥にいる審査員たちを見据えた。若い頃というのは怖いもの知らずで、緊張はしていたものの、不思議と自信があったことを覚えている。そして私たちは、いちばん最初に作ったオリジナルソング「ALLIVE(オーライブ)」を演奏した。

自分と他の人 崖にしがみつく僕らの誰に生は手を差し伸べるの?
モラルや常識や そんなものより美味いドリアンを食べたように笑いかける

今思うとなかなかに恥ずかしい歌詞だが、これを胸を張って歌えるということが「閃光」そのものだったのだと思う。2曲目を歌う時間もあったのだが、1曲目に全力を尽くした私たちに余力はなく、私たちのステージは1曲で終わりを迎えた。

結局、閃光は三次審査には届かず、バンドも受験勉強に向けて解散を余儀なくされてしまったのだが、試行錯誤しながら1曲でもオリジナルソングを作って演奏できたことは、今でも眩しい思い出として、私の胸の中で眠っている。
というわけで、高校時代の思い出はここまで。それ以前にも小学校くらいのとき、家族に連れられて八戸や三沢を訪れたことはあるのだが、昔すぎてあまり覚えていないので、割愛させていただきたい。

3. 【訪れたい場所】下北半島

青森の観光地といえば、桜とお城で有名な弘前や、海産物の市場とウミネコで有名な八戸などが挙げられるが、改めて考えたとき、私は下北半島を訪れたいと思った。なぜなら、この鉄道網が張り巡った日本列島において、下北半島は鉄道では味わいきれないからだ。この時代において、車でしか巡れない場所があるということに、私はとても趣を感じる。
まず、下北半島に行く大きな理由の一つは、恐山である。イタコがいることで有名ではあるが、私はその風景に興味がある。辺りには硫黄の匂いが立ち込め、灰色の殺風景が広がる中、宇曽利山湖という深く澄んだ水を湛えた湖もあるという。その生と死が同居するような風景を、是非とも味わってみたい。恐山から少し離れたところには薬研温泉という温泉があり、人里離れた場所で極楽に浸りたい。
また、もう一つの大きな理由は、本州最北端がそこにあるからである。先っちょマニアの私としては、大間崎はやはり一度訪れてみたい。しかも大間はただ先っちょというだけでなく、鮪で有名な場所でもある。「大間のマグロ」に舌鼓を打ちたいと思うのは、何も私だけではないだろう。また、津軽海峡に面する海沿いには、下風呂温泉郷という温泉地がある。薬研温泉と下風呂温泉郷、山と海のコントラストを楽しむのは、なんと贅沢なことだろうと思う。

…さて、出身県のお隣といえど、知らない場所がたくさんあるものだなあということを、今回思い知らされた。特に観光地というよりは思い出に全振りしてしまった部分もあるので、そんなん知らんわ、と思った方もいるかもしれないが、結局旅は場所の魅力と同行者との距離感が合わさって初めて楽しいと思えるものである。どうか若さを失いつつある者の思い出話を、なんとなく笑って読んでいただけたら、筆者冥利に尽きる。

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