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3. 秋田さけ!

死亡率は9年連続の全国ワースト。死因別はがんが全国で最も高かった。出生率、自然増減率、婚姻率は最下位だった。
(2021/6/5, 河北新報, https://kahoku.news/articles/20210604khn000036.html)

命を失う人が多い一方で、新しい命はなかなか誕生せず、人口はひたすらに右肩下がり。いったいどんな過酷な場所なのだろうと思うかもしれないが、これはどこか遠い国などではない。秋田県、私が生まれ育った場所である。
実際のところ、秋田県はどんな場所なのか。その秘密を探るべく、私は記憶の森とインターネットの海を、掻き分けていくことにした。

1. 【思い出の場所①】にかほ市

1994年、私は生まれてすぐににかほ市にやって来た。人口3万人足らずの小さなまちの外れに、私たち家族は住み始めた。冬は一度ボイラーを止めると、寒さでしばらくお湯が出なくなるため、家族全員風呂に入るまでは止められないような、そんな質素な社宅だった(と両親から聞いている)。

秋田県の南西、山形県に隣接するこのまちは地理的な特徴が複数ある。まず、海に面している一方で、背後には鳥海山、別名「出羽富士」とも呼ばれる単峰があり、そのシルエットの美しさを買われてこの山は「おくりびと」にも出演している。さらに特徴的なのは、田んぼの中に浮かぶ島々「九十九島」である。その昔、象潟(きさかた、現在はにかほ市の一部)は松島と双璧を為すほどの景勝地だったが、1804年に大地震が発生して地面が隆起し、現在の地形になったという。
この地がいかに訪れるべき場所であったかは、かの松尾芭蕉が足を運んだことからもわかる。奇しくも象潟は松尾芭蕉が訪れた最北の地となり、松島のときほど衝撃的ではないまでも、後世に残る一句を残している。

象潟や 雨に西施が ねぶの花

このねぶ(ねむ、合歓)の花は市の花にも制定されており、道の駅「ねむの丘」にもその名を冠している。この道の駅は仁賀保(にかほ)地区の観光拠点となっており、夏になると天然の岩牡蠣にありつくことができる。なかなか東京では見かけることのない逸品なので、ぜひ一度ご賞味いただきたい。また、ねむの丘の最上階は展望温泉となっており、夕方には海に沈む夕日を眺めながら極楽気分を味わうことができる。

活火山・鳥海山に抱かれたにかほ市には他にも温泉があり、金浦(このうら、にかほ市の一部)には「金浦温泉 学校の栖」がある。私は何度も入りにいっているので慣れてしまったが、浴場はしっかりと硫黄の匂いで満たされているので、温泉気分を楽しむにはうってつけだろう。また、「学校の栖」の名の通り、この温泉宿は廃校になった小学校の校舎を改築したというユニークな宿である。実際に私の母もこの学校に通っていたそうで、少子化が進み続ける中、学校という形でなくとも母校が保存されているのは、自分のことではないにせよ、少し救われるような気持ちになる。
他にも、日本人初の南極到達者・白瀬矗を記念した「白瀬南極探検隊記念館」や、大きな風車の下でジャージーソフトが食べられる「土田牧場」など、実はにかほ市にはさまざまな魅力が詰まっている。新潟から特急「いなほ」に乗れば思いの外遠くはないので、一度目とは言わないまでも、二度目に秋田を訪れることがあれば、ぜひ足を運んでみていただきたい。

(参考)道の駅象潟「ねむの丘」

2. 【思い出の場所②】竿燈

みなさんは「東北六魂祭」をご存知だろうか。2011年に東日本大震災が発生したあと、6年間にわたり、東北6県の夏祭りを集めたイベントが各県持ち回りで催された。その中で秋田県代表の夏祭りとして、竿燈(かんとう)が披露された。秋田県民の中でも状況はまばらだろうが、少なくとも私にとっては、竿燈は割と身近な存在だった。

小学生の頃。夏が近づくと、社宅の真上に住んでいた幼馴染が、家の前のちょっとした広場で、提灯がいくつも吊るされた重量のある竹竿を持ち、バランスを取りながら掌に載せていた。小学生の背丈3〜4人分はある竹竿は、みしみしと軋みながらも、なんとか倒れるまいと前後に踊っていた。それが私の見た竿燈だった。
実際のところ、本番で彼がパフォーマンスをしているところを見たことはないのだが、本番に向けて練習をする会もあったようで、彼はそこで力をつけ、本番では提灯に火を灯してその技を披露したのだろう。彼が使っていたのはたしか幼若(ようわか)といういちばん小さいサイズだったが、いちばん大きな大若(おおわか)は提灯の大きさも竹竿の長さも2倍になり、もはや危険が伴うレベルで難易度が上がる。竿燈は実はひりひりとする妙技なのである。

結局私が初めてその妙技を目の当たりにしたのは、2011年、高校2年生のとき。同期に誘われて、竿燈まつりに乗り込むこととなった。
竿燈まつり当日、県庁の目の前を通る山王大通りは封鎖され、歩道は観客でごった返していた。普段は車が行き交う道の上では、大太鼓や笛のお囃子とともに、竿燈が至る所で灯っていた。日が完全に沈みきると、いよいよ穏やかな橙色が夜を掻き分け、まるで世界一豪快なイルミネーションかのように躍動した。
竿燈は掌に載せるだけではない。額や肩に載せることもあれば、腰で支えることもある。掌から腰に移し替え、見事に竹竿が屹立するまでの過程は、息を呑むほどスリリングで、見所の一つにもなっている。
県外からも人が押し寄せ、大混雑の竿燈まつりだったが、竿燈の迫力が凄まじいので、人の間からもしっかりとその映像を目に焼き付けることができた。私の人生で竿燈まつりを見にいけたのはその一度きりなので、今度は桟敷なんかに座って、ゆっくりと見てみたいものである。

(参考)秋田竿燈まつり

3. 【訪れたい場所】乳頭温泉郷

乳頭温泉郷といえば、全国温泉ランキングで必ずと言ってよいほど上位に名を連ね、調査によっては1位に輝くこともある憧れの温泉地である。そんな温泉が出身県にあるというのに、訪れたことがないのはいかがなものかと、かねてから私は思っていた。
乳頭温泉郷は秋田新幹線田沢湖駅からバスで約40分、奥羽山脈の麓にある、いわば「秘境の温泉」である。もちろんその秘境っぷりも魅力の一つだが、もう一つの大きな特徴は、この温泉郷の7つの宿はそれぞれ独自に源泉を持ち、それぞれに泉質が異なるということである。例えば「鶴の湯」の温泉は乳白色のお湯を湛えているが、「大釜温泉」はお湯が緑がかった色をしている等、明らかに見た目が異なる。また、たとえ見た目が似通っていても、肌触りが全く異なることもあるのだという。こんな神が湯めぐりのために拵えたとしか思えない桃源郷を、訪れないわけにはいかないだろう。実際、湯めぐり帳や湯めぐりバス等、その願いを叶えてくれる準備はすでに整っているので、あとは足を運ぶのみである。
乳頭温泉郷の近くには、日本一深い湖である田沢湖のほか、武家屋敷が建ち並び「みちのくの小京都」とも呼ばれる角館等、観光地が集まっているため、そちらもぜひ訪れてみたい。

(参考)乳頭温泉郷

さて、これで少しでもわかっていただけただろうか。秋田は修羅の国などではなく、むしろ桃源郷をも擁した自然と文化の地であるということを。
そうとわかったら…、秋田さけ(秋田に来て)!

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