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誰のために香水を纏う?

匂う。

なんだこの甘ったるい香りは。

いつものブックカフェに来て、今日はコーヒーのお供にどの本を選ぼうか、と新刊の本棚の辺りをうぶらついていた時だった。

気が付くと、私は強烈な香りに完全に包囲されていた。

犯人の姿は見えない。

見えない敵がいる恐怖に私は身を震わせた。



私自身、香水がとても好きだ。

どこかに出かける前、メイクを一通りし終えた後に、洗面化粧台の棚にあるお気に入りの香水を手に取り、シュッと左手首に振りかける。

リキッドイマジネールというブランドの「大地の香り」という香水だ。
そう、私は、お出かけ前の仕上げに「大地」を纏っているのだ。

なんて壮大な身支度なのだろう。

しかしこの儀式を行わないと、自分が完成しない気がする。

そんなことを言いながら、時折、急いでいたり寝ぼけていたりすると、香水をつけ忘れることがある。

私は地方住まいで移動はもっぱら車なのだが、車の運転をしているときに、なんか気分が乗らないな、と思う時は大抵、香水を纏い忘れているのである。

そのくらい、私にとっての香水は、暮らしの中に欠かせないものになっていた。


そんな私に、香水を纏っていることを改めて気がつかせてくれたのが、冒頭の見えない誰かである。

おそらく彼女が無意識に遺していった置き土産により、私は、私自身の香水について考える機会を頂けたのである。

ありがたき幸せにござる。

敵とか言ってごめん、友よ。


香水。

左手首を鼻先に近づけて、スンスンとかいでみる。

大地の香り・・・はしない。

「私」の香りがする。


香水とは不思議なもので、つける人によって、香りが変わる。

その人の体温や肌の質感などの要素が合わさって、香りが変化するのだ。

洗面化粧台の上にある香水ボトルを直接嗅いだときとは違う、どこか落ち着く「私」の香り。特別な香り。

香水を纏う前の私と、纏った後の私では、同じ人間なのに、どこか違う人間になった気がする。

なんだろう。
纏っているのは、香りのする水なのだけど、私はどこか「テーマ」を纏っているような気がするのだ。

「この香水を纏う私は、こうである。」という意味のテーマだ。


少し前は、二つの香水を持っていた。

今着けている「大地」の香水と、同じブランドで購入した「ファンタズマ」という香水。

リキッドイマジネールというブランドの香水は、3つの香水で1つのシリーズを構成しており、そのシリーズごとに異なるコンセプトを持っている。

例えば、私が購入した「ファンタズマ」は、人間の体液をコンセプトにしたシリーズのもので、「涙」「唾液」「リンパ液」をそれぞれ表現した香水だ。

ちなみに「ファンタズマ」は、「唾液」を表現した香りだ。

おおっと、安心してくれ、居眠りした時に手の甲から香るあれや枕のそれとは全く違うものだ。安心してくれ。

唾液は、唇から出る水だ。
目に見えない人間の欲望を表現したとかなんちゃらだった気がする。

そして、私のお気に入り香水である「大地」の香りは、木の生命を表現したシリーズの一つ。確か、「大地」「幹」「果実」をイメージしているものだった気がする。

左から順に嗅ぐと、木の時間が進んで花が咲いていくような、そんな香りの変化を感じられるシリーズだ。そうだった気がする。

「ファンタズマ」の人間の体液シリーズのコンセプトが強烈すぎて、大地の方のコンセプトを忘れてしまった。

ネットで調べたら、大地の香りは「木の根っこ」がテーマになっているようだ。
正式名称は「テルース」。

少し話が長くなってしまったが、そんなそれぞれのコンセプトに惹かれて、私はその二つの香水を選んだ。

香りのテイストも全く違った。

「大地」の方は、その名の通り、肩の力が抜けて落ち着くようなウッディ系の香りだ。

「ファンタズマ」の方は、欲望をテーマにしたということもあって、色っぽく一度嗅いでしまうと何度も嗅がずにはいられなくなるような、中毒性のあるクセのある香りだ。

私は、異なる表情を持つ二つの香水に、それぞれ使うときのテーマを決めた。

「大地」には、「素のままの飾らない自分であろう」というテーマを。

「ファンタズマ」には、「魅惑のオーラで気になるあいつを射止めてやろう」というテーマを。

ちょっと自分で書いてて恥ずかしいんだけど、そんな感じのテーマを設定した。


そうして、一人でゆったり過ごす時間の時はカジュアルな服に「大地」を纏い、気になるあいつと過ごすデートの時は高いヒールとタイトスカートに「ファンタズマ」を纏った。






それから1年ほどが経ち、気がつくと、私の部屋の洗面化粧台の上には、「大地」の香りだけが残った。

今日の私のファッションは、高いヒールにタイトスカート、そこに「大地」の香りを纏っている。


私は気づいてしまったのだ。

魅惑的なオーラを放つ「ファンタズマ」を纏わなくても、実はもうそのままで十分に魅力的なのだと。


そんなことを、私の嗅覚が教えてくれた。

買った当初は、「ファンタズマ」のその独特な香りに魅了されていたのだが、
ある日を境に、その匂いを身体が受け付けなくなってしまったのだ。

実は今までもこうゆうことはあった。

自分の内側の考えが変わると、なぜか嗅覚が変わることがある。

自分の世界の変わり目に、私は好む香りが変わるのだ。


もっと魅力的になりたいと願って選んだ魅惑の香水は、もう今の私には必要なかったようだ。


今は、一人の時もデートの時も、いつも「大地」の香りと一緒だ。



そんないまの私が考える「大地」の香りのテーマは、

「私は私ですけど、何か?」だ。



私の肌に触れて、その香りは世界に一つだけのオリジナルなものになった。

私は今日も香りを纏う。

この大地でたった一人の私のために、香りを纏う。









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