見出し画像

空の色が

noteに書くかも迷って何度も消えてた
しばらく、いつの間にか あまり解放的になれなくて、迷ったら過去に習うしかなかった最近もそう。
少し出かけると自由に気づくけど、いつもまた狭い気持ちに戻ってしまう。
カネコアヤノ風に表現するとこうなんだろう
自分はまた違う表現をしそうだと思う

飛行機に乗って、雲の上から夕焼けをみたり、
地上を見下ろしている時に思う
自分たちはシルバニアファミリーみたいなもので、
LOGOみたいな、ちまちました世界で、
普段歩いている場所や生活圏内はとても狭いし、
関わってるコミュニティや、属している場所や集団も、縛られているような
なにかルールを課されているような
自分で自分を監視して拘束しているような
常に誰かに見られているような
分かりやすく評価されることをしないといけないような

気がするけど、本当にシルバニアファミリーくらい狭いし小さい。

朝、こんなに清々しいのに
小鳥だけ青空の下でのんびりとさえずって、
重い足を引きずって収容されていく感じとか

もっと自由に気の向くままに、天気がいいから青空眺めてのんびりしたいな、とか

生きていることを今感じたいなと思う。

そうじゃない時間のことが無駄だし、死んでいても生きていても変わらないと思う。

カネコアヤノが詩に起こすとこうなって、
わたしはまた違う表現をすると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?