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[エッセイ]私の周りに新しい磁場が生まれ、ピノキオだった私は人間の子供になった

注)この記事のテーマは「自己啓発」です。主に私自身が啓発されます。

「驚くほど付きが回ってきている」。5月の日記を読み返しながら、ZENBヌードルを使った高たんぱくパスタを咀嚼する。1食250円の高級パスタだが、外食や買い食いをほとんどせずに引き篭もっている私のからだを、健やかに逞しく保ってくれる一要因として、重宝している。


内省を繰り返していただけで、外部環境に変化を感じる。
私の周辺に、今までなかった磁場が発生したようなのだ。

なんとなくダラダラ生きている状態をメタ認知して、冷静に自分と向き合い始めた1年半前。あれこれ試しては捨てをなんとなく繰り返し、おおよその方向性を決めた。1年前くらいに、引っ越したての新しい街を散歩してまわりながらいっぱい聞いた『みんラボ』↓ 自分の才能ってなんだろうとかモチベーションの源泉とはとか、アンテナを張るようになる。


4月1日から、daily手帳に意思感情アイディアを言語化。日々示唆を得ては軌道修正を繰り返しているから、たった2ヶ月のログなのに、過去にページを繰れば些細なことでも変化が目につく。

そうこうしているうち、誰かと話すときの語彙や、おそらく人の話を聞くときの表情の機微にも変化があったのだろう。少しずつ、私自身が変わってきている。毎日分裂しては入れ替わる細胞。数年前に私を形作っていた細胞はすでに死滅していて、正確にいうと当時の私はもういないらしい。

そんな最近の私の周りに新しい磁場が生まれ、過去なかった機会や出会いを引き寄せているようだ。


今は少しずつ過去に変わっていき、ZENBヌードルの消化はすでに進んでいる。スマホで短い動画を送りながらちょっとボケッとしていれば、今はさっきになり、今日が終わり明日が今日になり、ZENBヌードルはウンコに変わって出ていって、腹が減る。

noteを週に1回書く習慣を止めないつもりで迎えた5月がまもなく終わるのに気づき、何もできずに老いていく恐怖が身近になる。無情。

日常を取り回すだけで、いまいち毎日何をやって生きてきたのかぼんやりしている時期が5年間くらいある。もちろん日々頑張って生きていたし、その時やるべきことをやってきたが、今では当時の考えも方向性も価値観も、靄がかかったように思い出せない。当時の自分がそこに大して執着していなかったからだ

今の自分は違う。すごい執着だ。
現在の自分が何を考えていて未来の自分はどうあってほしいのかに大きな興味があるから、毎日バイブルのように『ほぼ日手帳』を持ち歩いては、自分の雑な筆跡を眺めている。

5年後の自分は、きっと今の自分に感謝するだろう。何を考えていたのかは忘れているに違いないが、恥を抑えて日記を紐解けば、新たな磁場を形成し始めた29歳目前の私の志を、再び知ることになる。


昨日会った人は「内省」を得意とする才能を持ち、それを武器に成功してきた。彼女も中学生から日記を書いては自己分析を内省を繰り返し、それを今も続け、「夢が叶いそう」な段階にあるそうだ。

夢を叶えようと、私はいつまで思えていただろう。
「本気」の人と交わらないよう、うっすら避け始めたのはいつだろう。
いつから、現実を現実的にこなすようになったろう。
意思がなくても大抵のことをこなせるという要領の良さだとか変な基礎体力が、なんとなく自慢になったのはどこからだろう。

夢を見ないロボットになりかけていた私に、内省の神が少しずつ少しずつ砂鉄を流し込んだ。そして新たな磁場が生まれ、新たな人やモノが、チャンスが引き寄せられてきた。
私はいつの間にか、人形から人の子に変わったピノキオのように柔軟に手足を動かして、心臓の鼓動をこんなにも喜ばしく思う。やがて自分の周りに新しい世界をつくり、主人公になるだろう。


そう、そのようにして私は、自分の人生の主人公であることを、その責任を、ようやく思い出したというわけです。
結果的に6月が死ぬほど忙しい。身体を壊さないために最大限の工夫とリズムが必要だ。末筆ながら、noteを書く時間もできるだけ差し込めるように頑張りたいという意思を込め、note連続投稿記録が途絶えないよう5月の更新といたしましょう。


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