ひとを育てるということ

 同僚に、

「女として生まれてきたのだから、結婚して子供を生むのが当たり前」

 だと、何度も言われました。

 それはもう、3日と空けず、何かにつけ繰り返し言われ、彼女がいた頃はノイローゼになるほど言い聞かされたものでした。

 しかしながら現在、私は2ヶ月前入社した20代男性に仕事を教え、育成しており。
 今持って尚、結婚相手はおろかパートナーさえ迎えてはいないため、彼女が主張した「当たり前」を履行できずにいるのですけど。

 でも。

 当時悩みに悩まされた「当たり前」なことはできずとも、ひとを育てることはできていて。

「当たり前なことすらできないのは、人として恥ずかしい」

 と主張し続けたあの人の弁は成り立たないのではないのか? と、思いながら生きております。

 …そんな彼女は一女一男をもうけながらも離婚、果ては既婚者と不倫の末、人様の家庭を崩壊させ、今も当たり前のように『社長婦人』として振る舞っておりますが…

 はてさて。

 何を持って

 ひとを育てるということ

 を、彼女は主張していたのだろうか、と、悩みは尽きない今日この頃です。

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