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野菜家族


#創作大賞2024
#エッセイ部門
#家庭菜園

夏の日差しの中。

うちの子に何してくれてんのおおー!?

そう言って家庭菜園の野菜の葉を食い散らかす害虫をガムテープで捕まえる。

痛かったね、痒かったね。

私はそう小さく野菜に声をかけた。

そして、去年はどうだっただろうかと、今まで育ててきた様々な野菜のことを思い出すのだ。

「初めての家庭菜園」

去年の春、連休も明けた頃にベランダでの家庭菜園を始めた。

その前にカイワレ大根を室内で発芽させることに成功したので自分にとっては満を持してのスタートだ。

特に参考にする本があったわけではない。誰かに薦められたわけでもない。

実をいうと一昨年から、野菜栽培への興味は芽生えていた。室内で人参や大根の切り落としたヘタから葉を伸ばそうと、水耕栽培や500ミリのペットボトルに土を入れたりしていたからだ。

だが何れもうまくいかなかったので、やはり野菜はプランターで普通に育てるのが一番いいんだろうなと思っていた。

おまけにもともと虫が苦手なのもあり、自分が本格的に土いじりをするなんて考えられなかった。
だからこその野菜の一部を使った室内栽培だったのだけれど。

植物が嫌いというわけではないので土や水がいらないチランジアという観葉植物や、室内で育てる苔玉を飾っていたこともある。

ただどちらも充分育たないうちにダメになってしまったので、自分は植物をうまく育てられないと勝手に思い込んでいた。

にも関わらず…

カイワレ大根で気を良くして。
インターネットで流れてくる他所様の緑鮮やかな野菜の葉っぱや美味しそうな実に背中を押されて。

始めてしまったのだ、家庭菜園を!

近所の店から種と土を買う。
プランターを買う。
その他の道具を買う。
やってみなければわからないことは数多くあるものだ。

土とプランターと種くらいしか必要な物は思いつかなかったが、いざ購入のために店を訪れてみるとこんなに沢山あるのかと驚いた。

種を発芽させ苗まで育てる小さな鉢や、育ってきたら植え替える大きめのプランター、蔓性植物などに必要な支柱に化成肥料、風除けネット…

「沢山要るなあ…」
思わず漏らした呟き。

防虫スプレー…
防虫?そう、防虫!

家庭菜園はちょちょっと園芸作業をするだけで、優雅に楽しく美味しい野菜がバカスカ採れるだろうと思っていたのは間違いだった。

家庭菜園とは、大部分が害虫との戦いなのだ、ということを知ったのだ。

人間が美味しく食べるものは虫にとっても美味しいのだ。
如何にして大事な野菜を守るか。
それにはまず敵を知らねば、と前より虫に詳しくなった。

害虫を退治してくれる虫もいる。
益虫と呼ばれ害虫を食料にしたり害虫の幼虫に卵を産み付けたりする虫たちだ。
農薬散布をしなければ、そういった虫が助けに来てくれるのだ。

始めてみると欲が出てくるもので、気が付けばゴーヤ、ズッキーニ、ミニトマト、カブ、パプリカ、キャベツ、ナス、シソ、ブロッコリー、ゴボウの鉢やプランターがズラリ並んでいた。
育成の難易度などおかまいなしである。

花束を購入したときに付いてきた観賞用の稲もバケツに芽を出している。

いやそれにしても欲の出し過ぎだろう。何せ場所は庭でなくてベランダなのだから。

当然個々の容れ物の大きさは小ぶりになり、土の量も少なくなる。
それが原因の一つになったのか、ズッキーニは真っ先に蕾のまま枯れ果てた。

猛暑ということの他に足りない知識とやり方の不備が手伝ってか、シソも小さいうちにダメになり、キャベツは葉が巻かないどころかすべてが外葉。ミニトマトは花は咲けども実は成らず状態から、沢山の青い実ばかりで熟さない状態に。
茄子は固くてゴボウはまるで熊手…!

苗を購入せず種からと決めて始めた家庭菜園、その種から発芽しない場合も結構あるということも、初めて知った。やり方が不味い、種の状態が悪い、ということもあったかもしれない。
種の発芽率が種袋に書いてあることにも驚いた。

失敗や試行錯誤の連続だったが、野菜が水を吸うように、私も経験と知識を吸い上げていった。


「野菜家族」

さて、種から育てて無事に芽が出てくると、間引きという関門を通り抜けなければならないわけだが、この頃にはもう既に、野菜への愛着心がヒマワリの花のように大きく育っていたので辛かった。

せっかく可愛らしい双葉が出てきて本葉も顔を覗かせたのに、間引いてしまうなんて!

育て方の説明には「苗の間を何センチ離れるように間引き」と書いてあるのに、このくらいなら大丈夫、とそれより狭めに苗を残してしまう。「可哀想」と「欲張り」の二大巨頭だ。
この執着心が徒となる。大きくなってきて栄養や水の奪い合い、密集することによる日光の遮り、風通しの悪さなどから病気になったり害虫被害に遭ってしまうのだ。

考えてみると野菜育てと子育ては似ている。

野菜を人間に例えてみると、沢山の兄弟を狭い一つの部屋に入れればストレスで喧嘩になるだろう。

支柱の必要な野菜は適切な時期に来たらちゃんと支えないと、あちこち勝手に蔓や茎が伸びていって絡まったり収拾がつかなくなる。途中で折れたり千切れてしまうかもしれない。
かといって支柱にきつく固く縛り付け過ぎると元気がなくなり若葉も伸びにくくなるかもしれない。

人間の場合も子どもを放置せず支えるべきときに支える、でも決して縛り付けるべきではない、とどこかの書物で読んだ例えだ。

丁度良く加減するのは親や野菜を育てる者の心がけと腕次第となる。

環境も大切だ。
野菜に大きな影響を与える一つが天候だ。

家庭菜園をやり出して、天気予報を見る頻度が非常に多くなった。

最近の夏の暑さは尋常ではない。

ベランダにはエアコンの室外機もあるので温風も噴き出してくる。
それに当たらないように配置し、直射日光にも気を付ける。

興味深いことに、野菜には日光の当たり具合や水のやり方に好き嫌いがある。

野菜なら全て燦燦とした日光に浴びさせればいいかと思っていた。勿論強い陽射しが大好きな野菜もいるが、少しでいいよ、或いは日陰の方がいいなあ、という野菜もいるのだ。

水も、あんまり好きじゃないから土が乾いてからにしてね、というのもいる。逆に水を切らさないでと沢山欲しがるものもいる。

根の張り方も浅く広く張るものや、狭く深く張るもの。その中間くらいのもの。

皆、個性的なのだ。人間みたい、と思った。

人の子どもにも様々な好き嫌いをはじめとした個性があり、その子にあった子育てのやり方もあるのだろう。

台風のときは支柱や網で固定してはいるものの、野菜の茎や葉が心許ない感じにバサバサ揺さぶられるのを見て、これ以上は何かやってあげられないけど頑張って!と心の中で呼びかけた。何度もベランダの窓際へ行っては様子を見守り、無事に乗り越えたら肥料あげるからね!と。

暴風雨が去った後、相当のストレスがかかり栄養を使い果たしてしまっているだろう野菜に約束通り肥料をあげながら、よく頑張ったね!と小さく声をかけるのだ。

こんなところも、子育てに通じるものがあるのかもしれない。

子ども。
そう、私には二人の子どもがいる。

その二人の子どもたちがそれまで一緒に暮らしていた家から出ていって、もう随分経つ。
私もその家から離れ、子どもらもそれぞれ家庭を持ち更に数年が経過した。

離婚したので私に伴侶はいない。

だからか何かと子どもたちに意識が向いてしまい、何があった、どこへ行った、というものから食事の内容に面白そうなテレビ番組まで、知らせるようになっていた。そして子どもが出かける用事があると言えばどこへ行くの、誰と行くの、などついつい聞いてしまう。

子どもたちの反応は最初はそれなりにあったものの、次第に鈍くなっていく。少し頻繁に連絡を取り過ぎたらしい。

とっくに空になった巣を見つめている親鳥のような心境でいたところに、懸命に土を破って芽を出し、虫や悪天候にもめげず伸びていく野菜の育成に、私が嵌まらないわけはなかったのだ。

生き物としての種は違えども、新しく興味深い親子関係の誕生と言うべきか。

かくして毎日毎朝、ときには夜も、葉っぱが虫にやられてないかな、栄養や水は足りてるかな、と決してマメとか器用とか言えない私が甲斐甲斐しく世話を焼く。

自分では動けず喋らない植物の、微かなサインを積極的に受け止め理解する努力をする。

葉の色や、水の吸い上げ力。花の咲き方に実のなり方。植物である野菜の「わかってほしい」をその様子から汲み取るのだ。

風が強い日には待っててね、早く帰ってくるからねと出かけ、帰れば鉢ごと倒れていないか、どこも折れていないか確認する。

まだまだ子どもたちのことは気になるけれど、野菜たちと過ごすひとときもいいなと思えるようになった。

成長して背丈も増して、もうちょっとやそっとでは虫や風にやられないようになると、大きくなったなあ…としみじみ感じる。

みんな、育っていくのだ。野菜も、子どもも。


「野菜と健康生活」

以前は私は宵っ張りの朝寝坊タイプだったが、野菜の世話をするようになってから、前よりは早く起きられるようになってきた。

年齢のせいもあるかもしれないけれど、野菜は太陽に合わせて生きているからだ。

根を傷めるので朝気温が低いうちに水をやりましょう、とガイドに書かれていれば従わざるを得ない。

日中は隠れている害虫も朝早い時間帯なら姿を見せる。
朝のうちに開き昼には閉じてしまう花もある。人工受粉させる野菜だったら、遅れたら大変だ。

ベランダで農作業をやる度にたっぷり太陽の光を浴びる。とはいっても近頃の猛暑続きには参ってしまい、水をやるだけで精一杯の日も多い。

けれども野菜が手入れを待っていると思うと、次の日にはどうにかこなしていたりする。

陽の光を浴びて身体をよく動かすと言うと、子どもに「それはいいね」と言われた。

緑色の葉の中にいると気分も上々。
土をいじれば微生物細菌叢も身体に働きかけてくれるのか、健康にいいとか認知症にいいとか聞いたことがある。

自分の身にも変化はあって、今まで毎年夏になるとできていた手の指の痒い水疱が、今年は出ていない。
これも土いじりのお蔭かと思っている。

「食べ物を育てるということ」

家庭菜園を去年からやり始めて、野菜への意識が少しだけ変わった。

前から野菜は好きな方だし、口では感謝して食べなきゃなんてたまに言っていたけれど、収穫するときにありがとうねと言ってから採って、食べるときにも育ててきた日々や野菜の成長過程を思い出しながら味わうようになった。

野菜売り場の野菜を見て、表面の傷跡のような筋に「この傷…虫と戦ってできた傷なんだろうなあ」と思い、少し曲がった形には「暑かったよね、頑張ったね」などと心の中で声をかける。

どれを買うか決めるときには君に決めた!という思いで手に取り、買い物かごに入れる。

売り場の野菜の中には個人の農家直売のものもあり、農家さんの苦労や技術に想いを馳せる。自分が野菜作りを経験したからこそ身近に感じて、野菜を選ぶのが楽しい。

食べるときも、モシャモシャと美味しく野菜を頂きながら、植物は草食動物が食べてその動物を肉食動物が食べて、それを人間が食べて…植物は数多くの命を育んでいるなあ、その中で特に人間が食べているものを野菜と言うんだろうなあ…と想いを巡らせる。

野菜という植物の恩恵を受けているなと実感する。

農業を生業にしている人についても凄いと思った。
その労力といい野菜への気の配り方といい…あと、現実問題としてお金もかかるよね、なんて。

うちは小さな家庭菜園をやっているに過ぎないけれど、それでも毎日野菜を観察し害虫駆除し肥料や水をあげ枯れたところを取り除くなど、成長に合わせて色々やらなければならないことも多い。

商売にするならそれらに加えて大きさや重さなどの基準に合わせ見た目も気にしなければならない。作業面積もずっと広く、大抵の場合仕事場は野外かビニールハウスの中なのでその労働は過酷だ。

そのような環境で人間を含む色々な生き物の食料となる野菜を沢山作ってくれる農家さんには、感謝しかない。

食べ物を一から作ることをほんの少しでも経験できたことで、自分の世界も広がったと感じている。


「家庭菜園の実りある日々」

今年の春から初夏にかけて、キュウリ、オクラ、シソ、ブロッコリー、稲、サツマイモを植えた。

豊作というわけにはいかないけれど、水や土や肥料を追加すると次の日には止まっていた実の成長が復活するなど、ちゃんと反応を返してくれる野菜。支柱に蔓を誘導すれば誘導したところにくるんと巻き付いてくれるキュウリには、指に巻き付いてくれないかなと思ってしまうほど愛おしさを感じた。

この夏は、彼らからの恵みと野菜売り場の野菜の恵みを受けてこの身を養っている。

今まで野菜の中で野菜を育てるためにあった栄養素が、私という人間、という生き物の身体の中を巡るのだ。

子どもたちもちゃんと野菜を食べているかな、とふと考えては、いやいやもう大人だから食べるときは食べているだろうと、小さな子どもに声をかけるようなことは止そう、と野菜に向き直る。

勢いで始めたような野菜作りだけど、野菜だけでない実り豊かな家庭菜園になったと思う。

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