雑記16 音源から楽器を推し量る

Switchインタビュー達人達という番組の中で、前に、指揮者の西本智美氏と、理論物理学者の佐治晴夫氏とが対談をしていた。

佐治晴夫氏は、元々音楽を愛好している人らしい。音というものに関心が強いように思われる。

佐治氏は、対談の途中で、宇宙空間の音を録音した音源を部屋の中で流していた。それを指揮者の西本氏に聞いてもらい、こういう趣旨のことを話していた。

"例えば何かの楽器の音を記録することができれば、その音源を分析していけば、音のデータを元に、どんな楽器から発された音なのかを突き止めることができる。"

"宇宙空間に流れる音を記録したものがここにある。この音源に対しての分析を深くしていけば、理屈の上では 宇宙・宇宙空間というものの 形や大きさ、構造が どんなものなのかを突き止めることができるのではないかと思っている。"

おおよそ以上のような趣旨のことを話していた。自分の頭の中に、その話が長らく残っていて、今もそれが自分にとって意味を持って思い出されてくる。

佐治氏の思うところとは異なる話かもしれないが、自分はこの話を、自分の読書活動と重ねている。

自分は小林秀雄氏の著作を、特に精神エネルギーを注いで、何年か愛読している。

小林秀雄氏は色々な著作を遺している。

小林秀雄氏の遺した著作は、言うなれば、"小林秀雄氏の精神" とか、"小林秀雄氏の人格" とか、"小林秀雄氏の人生"とか、そういう風に言えるものを楽器に例えた場合に、それから放射された音を記録したもの、のように自分には感じられる。

その記録された音・音源自体について詳しくなる、ということも大事なのだが、自分からすれば本当に大事なのは、その記録された音源に親しむ中で、その音が 一体どんな楽器から(どんな精神から) 発されたものなのかを、わかろうと努力することのように思っている。

小林秀雄氏の著作について、網羅的に知り尽くすことよりも、限られた範囲しか知らないとしても その範囲を好み、深く親しむ という心の経験から 『それが放射される元となった精神がどんなものであったか』について心の中で 『わかった。』という感じを持てるようになることの方が自分にとっては大事なことのように思う。

以上のことは、小林秀雄氏が 『論語』という、そう長くない文章の中で書いていることと重なるテーマのように思う。

小林秀雄氏の論語という文章では、論語の中の文章に親しむ中で、孔子の人格、孔子の人柄、孔子の精神、というものが 自然とわかってくるように工夫することが肝心である、という趣旨のことを書いているように自分は思っている。

(引用①)
『論語から、孔子という人間が居なくなり、道徳原理という空文が残り…』
(小林秀雄 論語 より引用)

というのは、音や声だけが残っていて、元となった楽器を想う人がいない状態、だと言えそうに思う。

(引用②)
『論語は孔子という人間の言行録であることが、はっきり頭に入っていれば、論語の言葉は、ある確信を抱いて人生を生きた人間の魅力を、おのづから伝えていると受け取るはずだが、』
(小林秀雄 論語 より引用 、現代仮名遣いに替えている。)

上記の引用を元に、自分の言葉で自分の意見を書くならば、以下のようになる。

論語は例えるなら 記録された音源・声であり、心の眼をよくよく凝らして、心の耳をよくよく澄まして、急がず気長に その声に触れ続けていけば、孔子という、今は既にいなくなっているが かつては存在した魅力ある一人の人間の精神、という楽器本体に ふと出会う経験を持てるものだ、と言えそうだと思う。

余談だが、植物の地上部分に生えている部分を見て、地下部分がどうなっているのかを 思い浮かべることと少し似ているようにも思う。

それにしても、今まで 具体的に手元の著作から ところどころ引用しながら ものを書けたら、その方が 伝わり方が良いかもしれないし、記事を見てくれた方への 読書案内の一助にも もしかしたらなるかもしれない と思っていたので、今回少しながら 引用を具体的にできたことを嬉しく思う。

引用した文献:
小林秀雄 著作の 『白鳥・宣長・言葉』収録の『論語』より。

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