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富士山の山小屋バイト、一週間でクビになった話 

 昨日、富士山元祖七号目の山小屋から私宛に一通の封筒が届いた。この山小屋が私宛に手紙?!警戒しながら開けた。
 源泉徴収票だった。なんだ、事務的な内容か。
そういえば、去年の夏に行ったこの出来事、まだ書いてなかったな。とふと思い出したので、事務的であれどせっかく山小屋からのお達しがきた訳だし書く事にします。標高2500mで体験した怒涛の一週間のお話。

 8月の中旬、ボスニアロスを引きずって新たな刺激を求めた私は、高校の同級生のストーリーに目が止まった。彼は、富士山で1ヶ月近くバイトをする事に決め、日々富士山ライフをストーリーやTwitter、noteなどあらゆるSNS媒体で発信していた。その非日常感!まさしく!! 私が求めていた刺激とマッチした。

 気になったら即行動してしまうようで、彼のnoteにインクノットという山小屋バイトの求人サイトの情報が載ってたのでそこを調べると、まだあった。唯一一箇所まだ富士山の山小屋で募集をかけていた。山小屋バイトのリスク云々を調べた上で他の山小屋も考えたけど、高尾山しか登ったことない私は実際に働いてる人の話も聞ける富士山に決めて早速電話をした。すると、明後日から来れますか?と言われて電話一本で富士山行きが決まった。電話一本でガラッと人生が変わるこの感じ、たまらなかった。全部で10日間行く予定だった。

 バイトが決まってすぐ、火付け役の同級生に勇気を出してメッセージを送った。実は対面で話したこともない彼だったが、富士山バイトのあれこれを親切に教えてくれた。
そんな彼のnoteはこちら。これは富士山での料理の話。面白くておすすめです。
https://note.com/satoupower/n/n22d509b4a3be

 こうして私は富士山に降り立った。
 5号目から3時間ほどかけて登山。たまたま同じ日に一個下の女の子もここでバイトすることとなっていて、彼女と登った。同世代の女の子がいてちょっと安心したし、その子も明るくてすぐに打ち解けた。こうして、バイト先に到着、住み込み業務が始まった。

 初日から二日目は、とても楽しかった。山小屋、雲より上の景色、山小屋の業務、食事、来るお客さん、コロコロ変わる天気、全てが目新しく、新鮮だった。

 でも3日目には業務の大半を覚えて、新鮮さがなくなってからどんどん苦痛を感じていった。苦痛だったポイントは3つある。

1 労働時間&短調かつ非効率な仕事
 私の1日のスケジュールは大体こんな感じだった。(労働を太字にしてみた)
4:30 起床 すぐさま布団の片付けと掃除(0.5h)
5:30 朝食 全員揃って食べる
5:45 売店の物補充(0.15h)
6:00 休憩(全員でお茶する)
6:20(売店の販売、トイレのお金徴収、昼時は食事の注文や配膳、焼印の火加減の面倒[富士山には山小屋に焼印があり、木の棒にスタンプラリーのように打っていく]など)(5h)
11:30 昼食 代わりばんこに
11:50 店番(5h)
16:20 夕食
16:40 店番・宿泊者のご案内
17:30 夕食業務(配膳から片付けまで)(4.5h)

19:30 業務終了 一服(という名の反強制団欒)
20:30 就寝

 実に1 5時間越え労働。仕事が非常に暇で時間の進みがめちゃくちゃ遅い中で、親父や若旦那と同じ空間に居させられて、何をするにも気を使い続けなければいけないこの状態が、地味にしんどかった。トイレの金を受け取ることも売店も今すぐに機械にとって変わるような業務なのに…なんて心の中で思っていた。一緒にきた同じアルバイトの子は夜番で、昼に寝ると言う感じで業務の時間がほとんど被らなかったためお喋りもできなかった。

 ここら辺から、この場所の時代遅れに徐々に違和感を抱く。
 でも、こうなるのは同級生の彼の体験談で予想していたし、ここで暇しないようにKindleを充実させたりnoteを始めようと試みたりしていた。

2 休憩時間のなさ
 先程の労働時間にも通じる話だが、ここには休憩時間というものが私的には存在しなかった。朝の片付けや夜の業務が終わる頃には休憩というものが設けられていたけれど、全員が集まってお茶をする時間だった。山小屋を運営する家族の団欒にぶち込まれて、気を揉みながらお茶をする時間なのだ。はっきり言って接待に近い感覚。休まるわけがなかった。
 ひとりになる時間が皆無で、常に見ず知らずの他人と家族のようにずっと一緒に過ごさなければいけなかった。ただでさえ自分の家では部屋にこもっている自分には非常に耐え難かった。
 
 流石に耐えかねた私は5日目に夜中3時に起きて労働基準法について調べまくった。労働者の私を守ってくれるのは法しかない!絶対的なもので盾ついてやる!

当時の私のメモ

 調べたメモを持って、若旦那に交渉した。すると、若旦那は日中の空いた時間に2時間のひとりになれる休憩をくれた。交渉してよかった…

3 家父長制の残る家族運営
 この山小屋は家族で経営されていて、親父・その奥さん・息子である若旦那の3人がいて、たまに高校生の若旦那の娘が手伝いに来ていた。あとは私たちバイト2名で賄う形だった。
 
 この家族形態が、厄介だった。私はたびたび業務が円滑にできそうなところがたくさん見受けられたからその点について質問、提案していた。
若旦那は非常に理解のある人で、私の質問にも丁寧に答えてくれたしお願いも聞いてくれ、気遣いもしてくれた。
 
 一方で親父は自分の言うことが絶対で、他者の意見を聞き入れようとする姿勢もない人だった。ここの運営は何を決めるにも最終判断が親父で、私としては正直(え、こんなことでも許可取りにいくの?)と思うようなことばかりだった。
そして、現状のやり方に若旦那も物申したげな様子があるにもかかわらず、それを親父には直接言わず黙っていた。ぽろっと私に漏らすようなことがあっても、「あと2、3年で自分が運営するようになったら変わるから。」と言っていた。

他にも苦痛だったところはバイオ式のトイレ掃除やお風呂が一週間に2回だけとかはあるけど、それは全然耐えられるものだった。むしろ山小屋の暮らしの過酷さが知れてよかった。

 そんなこんなで早く下山したいの一心になりつつあった7日目の朝、朝のとこの片付けが終わった段階で突然親父に呼び出された。そして「お前は今日でクビだ!生意気なんだよ!従業員はいうことだけ聞いてればいいのに口答えしやがってよ!」的なことを言われた。暇な隙間時間に携帯を見ていたところ、色々やり方に口を出してくるところ、労働時間に文句を言ってきたところ、全部気に入らなかったらしい。
 あの暇な時間は少しでも有意義な時間にしなきゃ腐ると思ったし、やり方に関してはこの山小屋をより良いものにしたいという一心だったし、労働時間は私の権利だ。

 正直この解雇自体もそちらの都合による不当な解雇で労働基準法違反なんだけど、この親父のことはすごく嫌いだったし帰りたかったから言われた瞬間荷物をまとめた。めちゃくちゃ帰りたかったから嬉しかったけど、人生で初めてクビにされたことも結構ショックだった。泣いた。

 給料はちゃんともらえ、去るときに親父に一言物申してやった。
「最後に、労働者と雇用者は対等な立場であると思うし、従業員の意見を聞き入れなければ、この先やっていけないと思います。」

 そして笑顔でお世話になりました!と言って下山した。

 もう会うこともないし縁を切れる立場だからこそ、変化をしない、外部からの影響もないこの山小屋に一風ふかしてやった。そして何より来年以降もやってくるバイトさんが苦しい思いをしないように。そんな思いでいっぱいだった。
実際、お客さんに快適に過ごしてほしいという思いは私もあの家族も同じだったはずだ。それだけに、このような結果になってしまって非常に残念だった。下山の時はズビズビ泣いてた。

 来年からはどうやら、雇うアルバイトさんには一人になれる休憩時間をちゃんと設けるらしい。自分の行動が少しでも変化を起こせたなら幸いだ。

 この経験で私は自分が気になったことへすぐ意見を言うし、それに上下関係なく応じてくれる風通しの良い職場じゃなきゃやってけないことがわかった。自己分析が進んだし、大学生の時にしかできない貴重な経験ができたと思う。山小屋には感謝してます。もう2度と行かないけどね。

以上、私の富士山バイト体験記でした。





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