見出し画像

本日日記#2

シークエンスされる前の第二音で楽曲の99%は決まるような気がしている。
モノフォニックの十二音階で構成されることを前提とすれば、大まかに言えば12音×オクターブという制限内のXになるわけだけど、それはあくまで譜面上の音符であって、音声の種類までは限定していない。

そう考えると、たった2つの音を並べるだけなのに調整音楽の限定された自由にも既に無限の選択肢ができてしまう。ポリフォニックになったらもっと複雑になって、あー。

音楽を構成する要素は少し考えただけでも無数に存在している。困ったもんだ。無調音楽まで現れてしまったらパニックである。凡人の俺にはついていけない、かもしれない。笑 

現代音楽が新たな理論を発明することを目的としていたのであれば、大衆目線からみて理解出来なくて別にいいと思うし、まあそれはそれである意味健全なのかもしれん。専門的なことはよく分からん。

大衆向けに洗練された音楽でありつつ、実はスーパーマニアックな実験的要素の発明が垣間見れる音楽は、単純にカッコイイと最初に感じ、理解しようとする前に気持ちいいが先に分かる感じだ。こっちのほうがエロい。

第一音と第二音という2つの点を結ぶ線の長さ、これがBPMを決める。極端な事を言ってしまえば、この2音を在る程度反復させたら楽曲になるかもしれない。かなり勇気がいるが。例えば、反復回数を25に設定して、50個全ての音符の音色、音声を全部変えたりすればまあ、面白いかもね。50人が輪になって列んだり、一列になったり、向かい合ったり、ランダムに散らばったりして順番に発音するとか。うーん、音源よりパフォーマンス向きかな。聴いててつまらないものを見せて楽しませるみたいな。

しかしこれは、完結する事を放棄した音楽とでもいえるのかな。まあその場合、音声の種類に相当な価値がないと誰でも作れてしまうわけで、音楽的価値としてはもったいないのかもしれない。音声の可能性は大きいと思う。

99%も大事だが、三番目の音は99%を同調させる為の1%で、これがないと結べない。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか想像にお任せしますなのか。腑に落ちるとこを提示する上でいちばん重要な場所だ。

とまあ、三音だけ考えただけでもそれぞれに色んな要素や役割がある。人間の脳みそは不思議だ。あとは±×÷をいろいろ駆使して全体を組み立てているのだろうけど、いろいろって何だ。和音構成、和音進行、調、律動、旋律、等。これらはあくまで基本要素なんだろうけど、この時点でパンクしそうだ。笑

で、何が言いたいかというと、単純なことを複合的に面倒ではなく自然に作るということは、尊敬できることだと思うし尊敬している。
ギターと声だけで、空気を変えられる音楽というのは一つの側面として特別だともおもう。肉声でストーリーを語る以上のことを意図的に、又は自然に考えて作られているからだ。それは重なる音声の種類が増えても特別だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?