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島根とロシアの関係(2000年~現在まで)その4:ロシア理解市民講座


今回は、島根とロシアの市民交流の歴史について取り上げます。島根では、多くはありませんが、熱意ある人たちの力でユニークな交流が行われてきました。現在は市民交流が困難な時期を迎えていますが、これまでの交流の歴史を振り返ることで、今どんな視点を持つことができるか、考えたい気持ちもあり、以下、紹介していきます。


1 市井の文化交流のはじまりと広がり

松江市で輸入雑貨店を営んでいた田中克典さんは、2001年に「ロシアを理解する市民講座実行委員会」、略して「ロシア理解講座」を作りました。

会の発足は、近くても遠くに感じてしまうロシアのことを知ろう、怖い国というイメージだからこそ市民交流をしてみよう、という田中さんの思いからでした。

最初の取組はソ連映画「ぼくの村は戦場だった」の上映だったそうです。第2次世界大戦の独ソ戦に関する映画です。その後も、島根在住のロシア人の協力を得て、料理教室、音楽鑑賞、語学講座などを数えきれない文化交流イベントが行われました。

現在まで、約20年間、継続して、活動が行われています。

島根大学の留学生との交流については岩田昭夫さんが中心的な役割を果たし、県職員の江角さんや若槻さん、また、お父さんがシベリア抑留経験のある三代さんなど、多くの人がそれぞれの思いで関わってきました。

2 ウラジオストク市民との交流

1990年代、日本海側の自治体による「環日本海交流」を掲げた取組が盛んになり、島根県は、中心都市がウラジオストクであるロシア「沿海地方」との間で、1991年に友好交流の覚書を交わしています。

その関係で、数年に1回くらいのペースで、行政による交流イベントが島根とロシアで行われています。

田中さんたちは、この交流に参加するため、2003年から2015年頃まで継続して、ウラジオストクに渡航しました。「文化交流を重ねる中で、個々の人の暮らしが見えてきて、ロシアへの印象が変わってきた。」

2010年頃から最近にかけては、ウラジオストクから島根に市民グループ(牡丹の花愛好家、写真愛好家、音楽演奏グループなど)が来県することが多くなり、来県の際には、手作りの歓迎交流会を企画するのが、恒例になりました。

ウラジオストクからの人たちの歓迎交流会(2016年)

3 最近の活動

現在、ウクライナ侵攻により、日本とロシアとの往来が困難になり、行き来する形での市民交流はできなくなっています。ロシアがまさに遠い国になってしまっています。

そうした状況において、「なぜ、ロシアによるウクライナ侵攻が起きたのか」、を紐解く講演会を開催したり、ウラジオストクでの交流時に撮った写真の展示会を開催したり、これまでの交流活動の礎を活かして、今すべきことを模索する活動が続いています。


写真展ちらし
講演会チラシ

毎日新聞の関連記事のリンク先:


連載「島根とロシア」

1 中古車貿易

https://note.com/ondakazuki/n/n06bd21fb2d5d

2 市民文化交流③(江津ロシア祭り)

3 市民文化交流②(西ノ島ロシア水兵墓地)

https://note.com/ondakazuki/n/na0fb648b80a5

5 島根県の特産品「牡丹」の輸出

https://note.com/ondakazuki/n/nc75a92d55c9b

6 最近の出来事(ITエンジニアの橋渡し)


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