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「茶番の女」/連作短編「お探し物はレジリエンスですか?」

「広報室の水沢です。知事会見の前に私からひとつご説明です。本日、暑い中お集まりいただきましたが、庁舎内の空調が不調でして、会見室も蒸し暑くなっております。熱射病予防のために皆様には冷たいお茶のペットボトルをお渡しいたしました。必要に応じて水分補給を行っていただければと思います。では時間となりましたので、知事、お願いいたします」

すでに着席していた大原和子知事が咳ばらいを一つして、しゃべり始める。

「いま、県として一番の懸念事項は、明日にでも上陸するとみられる大型で強い台風16号であります。瞬間最大風速は40mを超えるとの発表も気象庁から出ております。人的被害を防ぐためには・・・」

と、3期目の終盤を迎えるベテラン知事はもったいぶって言葉を区切り、かねて用意のA4サイズのパネルを顔の横に掲げた。

「『お茶の間避難』であります」

新聞メディアがここぞとばかりにシャッターを切り、テレビカメラは知事の顔とパネルに一斉にズームする。

十分な間をとった後で、知事は言葉をつづけた。

「もちろん、水害などでご自宅が危険な場合は、早い段階で避難所に逃げていただきたいですが、そうでない方は、台風が行き過ぎるまでは家から出ないでいただきたい。事前に食料、飲み水、もしものときの懐中電灯、ラジオなども整えて、自宅での避難=『お茶の間避難』を心がけていただきたいと、私はこう考えております」

その後、台風の規模や、懸念される災害などについて詳しい説明がなされ、質疑応答まで含めると一時間あまりにわたって知事の会見は続いた。

「では、以上を持ちまして知事の会見を終了いたします。ありがとうございました」

水沢課長の言葉で、そそくさと席を立つ記者たち。

「とんだ茶番だな」とつぶやいたのは北都新聞の有村だった。

「ほんと、知事の小芝居感、ハンパないですよね」

西海日報の若手記者・立花が聞きつけて、相槌を打つ。

「いや、そっちじゃねーよ」

「え?どっちです?」

「あっちだよ」

有村がアゴをしゃくって指した先には、会見の後片付けをする水沢の姿があった。

「あの課長、新任だよな。どっから来たんだっけ?」

「たしか、民間からの抜擢ですよね。化粧品会社の広報だったとか」

「茶番、って言葉の語源って知ってるか?」

「さあ。茶番劇ってよく言いますよね。そんな演劇でもあったんじゃないんですか?」

「江戸時代の歌舞伎では来た客にお茶を出す当番がいたらしい。下っ端の役者がその『茶番』を務めたそうだが、そいつらが楽屋で暇つぶしにやってた小芝居が『茶番劇』の語源らしいぜ」

「・・・そういやあの課長、会見前にうちらに大仰なしぐさでお茶を差し出してきましたね。」

「それに知事の『お茶の間避難』だ。ただ自宅にいろってだけだろ。だけどあのワードとアクションで、きょうのニュースの絵柄は決まりだ」

「あの課長、腹ん中で俺たちを笑ってやがるってことですか!?」

「違うな。全県民を笑ってるのよ」

そういうと有村は立花から離れ、片づけを続ける女のそばに近づいて行った。

「水沢課長、ですよね。北都新聞キャップの有村です」

女は手を止め、振り向いて有村に正対した。

「水沢百合子です。県庁の仕事がまだよくわかりせんので、お手柔らかに」

すました面してても、目の奥の挑戦的な光が消せてねえじゃねえか、と有村は思った。

「大変ですね。課長はお茶当番から後片付けまでこなされるわけですか」

「入りたてで下っ端なものですから」

「お見受けしたところ、人形浄瑠璃の黒子もお得意のようですが?」

「・・・有村さん、とおっしゃいましたか。名刺をお渡ししますのであちらへどうぞ」

「そうですね。ご挨拶がてら趣味の話でもいたしましょうか」

「ちょうど趣味の話ができるようなお友達を探しておりました」

ではこちらへ、と水沢は先にたって歩き始めた。後につづいた有村の頭にふと思い当たったことがあった。

「つかぬことを伺いますが」

「?」

水沢は無言で振り向いた。

「水沢課長のご出身は、京都、だったりしますかね?」

「・・・伏見、どす」

前を向く直前、有村の目には水沢が小さく笑ったように見えた。

「お稲荷さんのおひざ元か。どうりで・・・」

まわりくどい、という言葉を有村は、手に持っていたお茶で喉の奥に流し込んだ。


<終>



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