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静かなる革命(3)林家あんこ「北斎の娘」/私の落語がたり

新時代の「吉原噺」を語るには…

江戸期の女流画家・葛飾応為が手掛けた作品「吉原格子先之図」。

女性落語家・林家あんこ(以下敬称略)は創作落語「北斎の娘」の中で、『お駒』という架空の人物を挿入することで、この『吉原』をめぐる人生の綾をストーリーの縦軸に据えた。
この趣向は、ある種の革命的な匂いを感じさせるものであり、静かなる革命、と題して論を進めるのは、これが大きな所以である。

落語の中で『吉原』を題材にした作品は、一般的には、呑む・打つ・買うが男の道楽として許容されていた時代背景を是とするものである。故に若手の女性落語家にとって『吉原』を語る噺は、超えるべきハードルがいくつも立ちはだかる難物と言えるだろう。

なぜか。

まずは「舞台設定」の問題である。
私が崇敬する三代目・桂米朝師匠は、上方で散逸した話を先達から地道に聞き集め、自らの口演や書物という形で残して旅立たれた。
その中には現代を生きる人間には、風俗として実感できないものもあり、米朝師匠は本ネタに入る前に、愉快かつ丁寧に事前の説明をされていた。

例えば「たちぎれ線香(江戸では「たちぎれ」)」の場合、

花街(いろまち)のお話を申し上げるときに、もうこの頃はいつも気にいたしますが、様子がごろっと変わってわからんことが仰山でてきました。喋ってる私のほうが解りまへんのやさかい、こらま、お客さんの方へ伝わらんのが当たり前でございますが、

桂米朝 上方落語大全集 第三期「たちぎれ線香」(速記)より抜粋

などと切り出したうえで、芸者の拘束時間を計るために線香が何本分燃え尽きたかを目安としていたことなどを、小話を交えて数分かけて説明する。

そもそもが、現代人のイメージしにくい世界観の事項を説明したうえで噺を「聴かせる」のは、名人の腕をもってしても容易なことではない。


そしてもうひとつは、「性」の問題である。
落語の中で語られる『吉原』の噺の多くは「遊びのお噂」。男たちがやいのやいのいいながら「性を買う」という流れで成立している。コンプライアンス云々が厳格化しつつある現代ではあるが、個人的な意見を述べるのならば、これまでにすでに成立している噺に関しては「当時の歴史的背景を重んじて、上演する」ということになろうかと思うが、いずれこうした噺を求めるニーズの方が先に無くなってしまうかもしれない。

そしてさらには、女性の落語家が「廓話」を語る場合の違和感である。
男目線で面白おかしく描かれる「性の噺」を女性の落語家が演ずる場合、「時代のギャップ」と「目線のギャップ」という二重の課題を抱えることになるからだ。

林家あんこは今回「北斎の娘」を通じて、自分なりの答えをひとつ、見つけたのではないか。「吉原格子先之図」を改めて見てみよう。

太田美術館所蔵「吉原格子先図」葛飾応為

吉原といえばその象徴たる「大門」を描いた作品は見たことがあるが、「夜の吉原」を描いたほかの作品は思い当たらない。あったとしても、花魁の煌びやかな美しさを描いたものではなかろうか。
夜の闇の中から男たちが格子のむこうに見つめているものは、陳列された商品としての女性たち。
格子の奥で光るのは取り澄ました花魁の顔。対比的に表現されているのは、男と女の猥雑な会話の断片まで聞こえてきそうな影。

その物語的な構図は、ドガの「踊り子」を想起させる。

描かれた三つの行灯には、それぞれ「応」「為」「栄」との文字があるとのこと。当時の男性絵師では描けない客観性に満ちた構図と、陰影の表現。

女性だからこそ描ける吉原の悲哀。
ここに着眼したとき、「北斎の娘」のキーパーソン・お駒が誕生したのであろう。

この「吉原格子先之図」があるが故に、葛飾応為が女性でありながら吉原に足を踏み入れたという設定には説得力がある。
画家を目指す腕がありながらも、吉原に身を落とさざるを得なかったというお駒の悲劇。お駒がふすま越しにしか応為と面会しないシーンは、吉原ならではの業病・梅毒を想起させるものもありつつ、相手を思う悲しい嘘が涙を誘う。


「北斎の娘」は応為の絵を入り口にして、吉原の暗部を女性の落語家が違和感なく語ることのできる作品。

これが、「革命」だと推す理由であり、この作品を後世に残すべきと思う理由でもある。いずれにしても、林家あんこがこの地点にまで到達したことは、各方面からさらなる称賛を得るべきであると私は思う。
だが、急ぐ必要はないのかもしれない。

「静かなる革命」は始まったばかりなのだから。


(もう少しつづく)


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