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静かなる革命(4)林家あんこ「北斎の娘」/私の落語がたり

さてお話は6月17日土曜日、林家あんこ(以下敬称略)「『北斎の娘』を聴く会」の会場へと舞い戻る。

開口一番の林家たたみ「金明竹(きんめいちく)」からの流れを受ける形となっての、あんこ「つる」の味わいについてはgeekさんがすでに語ってらっしゃるのでそちらに譲る。というか、さすがの慧眼。

あえて付け足すとするならば「つる」は、夫婦の鶴が飛んでくる話。
北斎で鶴、といえば「富岳三十六景」に「相州梅沢庄(左)」が比較的有名らしいが、

一方で北斎の花鳥画には「雪松に鶴」という図案があるよう。夫婦の鶴が寄り添いながら雪の降り積もる冬の寒さに耐える姿を描いたものだという。

鶴自体に吉兆としてのめでたさがあるが、彼女が『北斎の娘』通しを語る前段としてこの話を選んだのは、陰で彼女をしっかりと支え続けている夫君への感謝の念の発露だったのではないか、とあとあと思ってみたりもしたのだった。


さて私は2022年の5月、2023年の3月にそれぞれ『北斎の娘』(上)を聴く機会があった。
初回の印象としては
(これはまた大きなものに手をつけられましたね)
という感じで、やりたいことの意図と意気込みは伝わるものの、
(着地点が見えないことにはうかつに感想も言えないな)
というのが正直なところでもあった。

その後、彼女は先述の通り、夏場に向けて怒涛の勢いで「中」と「下」を仕上げていった。

夜な夜な資料をさらいながらヒントを探し、登場人物の肉付けをし、書き上げ、流れを組み上げてはひっくり返す。
噺を体に染み込ませるためには、当然ながら、語らねばならない。
歩く道すがらに。はたまた電車の中で。風呂の中で。時にはひとりカラオケの個室の中で、彼女はひたすら反復作業を続けたことだろう。

今年の春に再度、『北斎の娘』(上)を聴いたとき、私は素人ながらに
(あんこさんの体に馴染んできたな)と感じた。
客前での口演を重ねたことで、勘所が見え始めているのではないか。
そんな彼女を応援するために私ができることといえば、「素直に噺を楽しむ」ことだけなのだけれど。

そして迎えた6月17日。初めて聴く「通し」。
まず(上)を聴いて驚いた。
噺の構成が変わっている。
一部の登場人物を省き、テンポ感を出す。
父・北斎に「アゴ」と呼ばれるくだりと、応為の名の由来とも言われる「おーい」と呼ばれるくだりの交通整理。
軽い笑いを誘う、くすぐりの手数が増え、エンタメとしても精度が上がっている。

大きな期待感を抱きながらの仲入り後。
私の大好きな小菊師匠のあとに黒の着物に召し換えて出てきた林家あんこは、勝負の(中)(下)を語り始めたのだった。

(中)では長野の岩松院に伝わる「鳳凰図」について語り、(下)では先述の「吉原格子先之図」をモチーフに語る。

まさに努力の結晶。
聴衆は後半、前のめりに噺に聴き入り、お駒の悲話にさしかかる場面では小さく息を呑む声や、溜息の声も聞こえてきた。
『北斎の娘』、堂々の完成形がここで披露されたのであった。

完成形、と書いたがこの噺、まだまだ完成はしていない。
ようやくプロトタイプが組みあがった段階、と私は思っている。
この噺はこの先どんどん、進化・深化し続けるからである。

林家あんこ自身の修練・研鑽によるところがもちろん大きいが、新たなエンタメとしての可能性も残されている。
例えばそれは「映像」や「音曲」を取り込んでの口演だ。
語るあんこの背景に「鳳凰図」が、「吉原格子先之図」が映し出される。
応為が筆をとって作品に熱中する場面や、吉原の場面では上方落語よろしく、太鼓や三味線、謡の声が聞こえだす。

あるいは、英語でのバージョンを作り、海外での口演はどうだろうか。
浮世絵に関心の高いフランスで、同時通訳ありでの口演があったらウケそうだ。

・・・妄想だ。
現時点では、なにもかも。
だがもし実現するならば、日本美術界を巻き込んでのエンタテインメントになるかもしれない。
林家あんこ作の創作落語が、上方や海外で演じられることもあるかもしれない。

「たかがいちファンが、何をほざくのか」というお叱りの声もあるだろう。
だが、夢を見てはいけないのか。
「夢見てこそファン」ではないのか。


落語好きの男に「革命」の夢を与えてくれる。
それが私のとっての、林家あんこ『北斎の娘』、真の価値である。


※思いの赴くままに、乱筆乱文書き記しました。なんらの悪意もございませんが、もしお気を悪くされた方がいらしたら、平にお詫び申し上げます。
末筆ですが、落語界全体の発展と、林家あんこさんの末永いご活躍を深く祈念して締めとさせていただきます。

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