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「クジラはなぜ、陸に向かうのか」(前)/連作短編「お探し物は、レジリエンスですか?」

<松之介さんコラボ企画>

「あー、いたいた!こりゃまた大変だ。いち、にの、さんびき。いや、三頭っていうんですかね。じゃあ俺、写真撮りますんで行きますね!」

カメラマンの大滝は有村に向かってそういうと、カメラバッグを背負いなおして海岸に向かって走り始めた。向かう先には砂浜に巨体をさらす三頭のクジラ。そのうちの一頭を数台の重機が取り囲み、海に戻すためにロープをかけまわそうとしている。その外側を取り囲んでいるのは見たところ、漁業関係者のようだ。

「ざっと撮り終えたら、連絡くれ!」

北都新聞の記者・有村は、小さくなっていく大滝の背に大声で叫んだ。

(写真は大滝に任せるとして、まずはクジラと作業状況の確認だ。その後は通報者・目撃者を探してコメントを取る。行政や専門家の見解はそのあとで回ればいいだろう)

有村はやや急ぎ足で、砂浜を一歩一歩下る。

クジラが浜に打ちあがっている、という目撃者からの電話が県内のマスコミに入り始めたのが今朝。そして、漁業関係者や行政が慌てて動き始めたのが正午過ぎ。夕方が近づく現在、三頭のうち二頭はすでに生命活動を停止しているようだ。重機はかろうじて息のある一頭にロープをかけまわすのを諦め、ショベル部分の背でクジラを海に押し戻そうとしているが、どうみても望み薄だ。

ひととおりの取材を済ませたところで、有村はクジラを遠巻きで見守る関係者らしき一群の中に見知った顔を見つけ、声をかけた。

「水沢課長!」

「あ、有村さん」

心配げな表情でクジラを見つめていた女性は、有村の顔を見て少しだけ表情を和らげた。

「県の広報課長がどうしてこんなところまで?」

「あすの定例会見で知事コメント出しますんで、情報確認に」

「そりゃまたご苦労様です」

知事選に向けたアピールプレーも大変ですね、という皮肉を全力で込めてみる。水沢は無言で、小さく肩をすくめる仕草をして見せた。


「しかし、時々あるじゃないですか、こういうの。なんでなんでしょうね」

有村としては何の気なしに発した言葉だったが、水沢の表情はどんよりと曇った。

「・・・有村さんはどう思います?」

「まあ、諸説ありますよね。クジラの方向感覚が機能不全になったとか、地球温暖化のせいとか。珍しいところだと、自殺、なんていうことを言う人もいる」

「人間のせいだとしたら?人間がクジラを死に追いやっているのだとしたら?」

水沢は、真顔で正面から有村の目を覗き込んだ。

「・・・クジラがお好きなんですか?」

返答に窮した有村は、苦し紛れに質問で返した。

「生きてるクジラと竜田揚げは好きですよ。でも死んだクジラと死に瀕しているクジラを、目の前で見るのはつらいです」

「同感です」

トゥルルル、と有村の携帯が鳴った。画面を覗く。大滝だ。電話ではなくショートメッセージで車に戻ると送ってきた。

「じゃあ」

と有村は右手の人差し指で県道に止めた車を指さし、水沢に軽く会釈した。

「有村さん!」

「はい?」

「時間があったら、この人のところに寄ってもらえませんか」

水沢はポケットから一枚の名刺を取り出すと、有村に差し出した。記されていたのは県内の海洋学者の名前だった。

「・・・この方がなにか?」

「私、考えがまとまらなくて。自分でどうするべきか判断ができないんです。有村さんならどうするか、委ねてみようかと」

「・・・お手並み拝見、というわけですか」

いいながら有村は名刺を受け取った。海洋技術大学、榊原洋子教授。専門は船舶の安全運航と書かれている。

「もし、寄っていただけるならアポなしで行ってください。なぜ来たのかと聞かれたら『新作のファンデーションの件で』と言ってください」

「たっての願い、とは珍しいですね」

水沢は答えず背を向けると、クジラに向かってゆっくりと歩き始めた。ピクリとも動かなくなった最後の一頭を、関係者たちが所在なく見つめていた。

※(中)に続く↓


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