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「幽霊の日」なんてあったんだ!/気まぐれ雑記

この記事を書いているきょう、7月26日はなんと「幽霊の日」なんですってね!いやー、知りませんでした。幽霊の「れい」にかけて「0」のつく日にしたらよかったんじゃん?なんて思ったりしましたが、なんでも1825年の7月26日に歌舞伎「東海道四谷怪談」の初演が行われたことに由来しているそうです。じゃ、しょうがないですね(なにがだ)。

幽霊にはなぜ足がない?

さて幽霊と言えば「足のない幽霊は日本だけ」なんてことをよく聞きます。なぜなのか。諸説ありますが、江戸時代の画家・円山応挙が書いた幽霊画に足が描かれていなかったことがはじまり、という説がよく知られています。

言い伝えでは幽霊の絵がうまく書けなかった応挙のために、応挙の妻が自害して幽霊として現れ、その姿を慌てて描いたので足まで描けなかった・・・なーんて話がまことしやかに伝わってるそうですが、んなわきゃーない。

この絵を見てみると、恐ろしいというより、もの悲しいわびしさを感じますね。もの言いたげな目と、墨の濃淡で細やかに表現された髪の毛の幽玄な味わいがそう感じさせるのでしょうか。たしかに足は描かれていないですが、まだ未完成のようにも見えます。「反魂香之図」という題がついているそうですから、足元がお香に煙ってみえない様子を書いたのでは、と見る人もいるそうです。

最近の研究では津軽藩の家老の妾を描いたもの、という可能性が高いとみられています。そう、この絵は青森県弘前市の久渡寺(くどじ)というお寺に残されているんです。

実は私、学生時代を弘前市で過ごしました。この久渡寺の周辺は、当時地元ではなかなか有名な心霊スポット!今思えばこの幽霊画の話もあって「怖い場所」というウワサが広まっていたのでしょうね。ハタチそこそこの私も興味本位で、深夜に友人とこの久渡寺に車で出かけましたが、どうにも説明のしがたいイヤーな気配を感じて「ごめん、オレなんか無理だわ」といって、速攻引き返した記憶があります。

件の幽霊画はお盆の時期限定で公開されていたようなのですが、私、実物はみてないんです。あれか、お盆には毎年北海道の実家に帰ってたからか!遊びたい盛りだったもんなー。

幽霊は俳句の季語なのか?

「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」なんて句があります。すわ幽霊か、とおっかなびっくり様子を窺ったら、ただの枯れススキだったよ。なーんてことですが、この句の季語は「枯れ尾花」。冬の季語なんですね。もとは「化物の正体見たり 枯れ尾花」という本歌があるそうで、いつのまにか「幽霊」に転じたようです。

つまり、一般的には「幽霊」は、まだ、季語ではないんです

落語や講談では夏場に「怪談噺」が演じられることが多いですよね。夏にはお盆もあるし、「幽霊」はてっきり季語かと思っていましたがねー。

夏井いつき先生によると「現代俳句歳時記」という歳時記には夏の季語として載っていますが、まだメジャーとは言えないグレーゾーンに位置しているよう。いずれ馴染んでくるでしょう、ってことですね。

幽霊とはなんなのか

せっかくの年の一度の「幽霊の日」。その存在意義をいろいろと考えてみましょうか。私が子供のころはとにかく「暗がりに潜むなにか」が怖ろしかった。しかし、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」ではないですが、日本の夜が隅々まで明るい電灯に照らされるようになるにつれ、怪異は、特に「妖怪」や「八百万の神」はその居場所をどんどん狭められていきました。

そんな中でも「幽霊」は、「事故物件」という活躍の場を得たり、デジタルに対応したり、と手を変え品を変えながら生き残り続けています。

視たくはない。出会いたくもない。でも、存在していてほしい。

そう思ってしまうのは「幽霊」が「魂」という概念と紐づいているからなのかもしれません。恐ろしい「幽霊」を完全否定することは、優しかったあの人が暮らしているはずの「天国・極楽」をも否定することになってしまう。

もうすぐお盆。

誰もいないはずの2階の部屋に聞こえた足音は、この世に恨みを残して死んだ誰かの怨霊なのか。はたまた、落ち込む孫を励ましに来たおばあちゃんの霊魂なのか。

答えのない問いを、世代を超えて受け継ぎ続けていくことに「幽霊」=「日本人の死生観」の本質があるのではないでしょうか。

「ベランダに 幽霊を待つ 日暮れ時」  詠み人:いぬい

・・・お粗末様でした。


間口を広げるためにエッセイにチャレンジしてみたよ、の巻でした!



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